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映画『君が生きた証』あらすじとネタバレ感想

映画『君が生きた証』の概要:現在、アメリカで社会問題にもなっている銃問題。コロンバイン高校の乱射事件を皮切りに今も類似事件は絶えない。そんなアメリカが抱える問題を真っ向から描いた衝撃の人間ドラマ。監督には、本作がデビュー作となるハリウッドの名脇役ウィリアム・H・メイシー。脚本と製作総指揮も兼ねている。銃乱射事件という問題から見えてくる私たちが学ぶべきこととは何か?

映画『君が生きた証』 作品情報

君が生きた証

  • 製作年:2014年
  • 上映時間:105分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ、青春
  • 監督:ウィリアム・H・メイシー
  • キャスト:ビリー・クラダップ、アントン・イェルチン、フェリシティ・ハフマン、ジェイミー・チャン etc

映画『君が生きた証』 評価

  • 点数:75点/100点
  • オススメ度:★★★★★
  • ストーリー:★★★★☆
  • キャスト起用:★★★☆☆
  • 映像技術:★★★☆☆
  • 演出:★★★★☆
  • 設定:★★★☆☆

[miho21]

映画『君が生きた証』 あらすじ(ストーリー解説)

映画『君が生きた証』のあらすじを紹介します。

音楽が好きな、どこにでもおいる大学生ジョシュ(マイルズ・ハイザー)。彼は、大学の寮の自室にこもって、作詞作曲を励む青年。自作した曲を何度もCDに録音している。録音中、いつも邪魔が入る。他生徒の何気ない行動が、ジョシュの録音を妨げる。今日録音中に、邪魔されてしまう。

一方、ジョシュの父親サム(ビリー・クラダップ)は、エリートサラリーマン。仕事の商談が決まり、上機嫌で息子ジョシュに連絡を入れる。30分後に、いつもの店に来いと。今から祝杯をしようと。ジョシュは迷ったが、父親より授業を優先することに。サムは、その場に現れない息子を待ち続けたが、結局ジョシュは現れなかった。ガッカリしたサムは、肩を落とし、勘定をしようと席を立った。何気なく目を移したテレビ画面には、息子ジョシュの大学が映し出されていた。事情を掴めないサム。テレビでは、リポーターが伝えていた。校内で銃乱射事件が起こったことを。

事件後、サムは息子ジョシュを失った。いつでもどこでも、マスコミは彼を追い回す。葬儀にも家の前で待ち構える彼ら。葬儀に参列したサムは、事件に巻き込まれたジョシュの部屋に訪れた。涙一つ流さない彼の前にジョシュのガールフレンドと名乗る少女ケイト(セレーナ・ゴメス)が顔を出した。ジョシュのことを思い出し泣き出すも、サムは冷めた眼差しで彼女を見つめるだけだった。事件に巻き込まれて亡くなった息子に対する彼の喪失感は、あまりにも大きかった。

サムには、傷つき打ちひしがれる暇も与えないほど、昼夜問わずマスコミからの取材攻撃が絶えない。事件後、奥さんとは離婚。荒んだ心は、彼の生活も堕落させてゆく。家の中は、酒の空き瓶と空き缶で散らかり放題。外に酒を買いに行けば、マスコミに追い掛け回される日々。日夜浴びるアルコールのせいで、サムは仕事も出来ない状態に。上司は、そんな彼を見兼ね、事情を考慮し、休養を提案するが、それをも拒む彼に誰も助けることはできなかった。

あの衝撃の事件から2年後、サムは仕事も辞め、家も捨て、湖の隅っこでボート生活をしていた。まるでホームレス同然のその日暮らしの生活。日雇いの大工の仕事をしながら、銭を稼ぐ彼。2年前のエリートサラリーマンの姿はどこにもなかった。そんなある日、別れた妻がサムの元を訪れた。再婚相手と共に引っ越すらしい。家族で暮らした家を整理していたら、死んだジョシュの遺品が出てきた。死ぬ直前まで作曲し、録音していたCDや彼が愛用していたギターなど。サムは思い出したくもなかった。死んだ息子もあの事件の記憶も。彼はこの2年間逃げ続けて来た。やっと忘れようとしている矢先に、届いた息子の遺品。それを捨てようとしたサムだったが、どうしても捨てきれず、ボートの中で息子が作曲した曲を聞くことに。サムは、まるでそれらの曲がすべて、息子ジョシュに思えた。初めて彼は、息子ジョシュを知れたような気がした。その日から、彼はまるで人が変わったようにCDを聞き、夜はギターを練習し始めた。

ある晩サムは、1曲の曲を完全コピーし、それを携えてあるライブバーに赴いた。そこは、飛び入りでも参加できる少し変わったバーだった。同僚に連れられて、サムは来たことがあったのだ。バーのオーナー兼店長は立派な口髭を生やす、ちょっぴり冴えない小男(ウィリアム・H・メイシー)。何杯もの酒を煽ってから、ようやくサムはステージに立った。酒場は誰も彼の歌なんて聞いてない。しかも酔っ払いの歌なんて。バーでただ一人、サムの歌う曲に感動した青年がいた。酔っぱらって足元の覚束ないサムを、その青年は彼のボートまで送り届けるのだった。

翌日、サムのボートに昨日出会った内気な青年クエンティン(アントン・イェルチン)が、突然やってきた。それは、一緒にバンドを組みたいという誘いだった。ただ、サムには興味のない誘い。死んだ息子を知りたくて、そして少しでも傍に感じたくてギターを練習をしただけなのだ。だから、クエンティンの申し出に快く思わないサムは、彼をいつも門前払いするばかり。それでも青年は毎日、ボートに訪れてはサムを説得する。何度か足を運んで、やっとサムも承諾した。それは、クエンティンのしつこさがいい結果を産み出したのだ。それから早速、彼らは次の土曜日に向けて練習を始めた。サムはこの時、クエンティンに重要な事を話してなかった。この曲がすべて、死んだ息子の作った楽曲であることを。

週末の土曜日を迎えた。彼らが初めて披露する時だ。予想を遥かに超えて、観客の食い付きがよく、初日目は盛り上がり、店長から毎週土曜日に彼らの時間を設けて、バーを盛り上げて欲しいと、誘いが入る。こうしてサムと青年たちの不思議な交流が始まった。クエンティン青年が通い詰める音楽店の店主デル(ローレンス・フィッシュバーン)など、多くの人との交流を通して、サムはあの事件や息子の死と向き合えるようになってきた。そして、ある晴れた日、彼は事件から数えてようやく2年ぶりに息子ジョシュのお墓を訪れた。そこには、元妻の姿も。サムにとってお葬式以来、初めてのことだ。ただ久しぶりに会った元夫婦は浮かない顔をしている。なぜなら、墓石にはジョシュの死を悲しまない人からの痛烈な落書きが施されているからだった。

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映画『君が生きた証』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)

映画『君が生きた証』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む

映画は現実を映す鏡

もはや、映画とは夢ばかりを語るような時代ではない。一昔前の80年代や90年代のような明るく楽しいアメリカン・ドリームを謳うような時代ではない。しっかり現実と向き合う時なのだ。

本作の題材は校内における『銃乱射事件』だ。これを題材にした作品は多くある。一番有名なのはマイケル・ムーア監督によるドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』コロバイン高校で起きたアメリカ史上最悪の銃乱射事件を基にアメリカの銃社会をユーモアと鋭い切り口で痛烈に批判した快作。次にテレビ映画だが、同事件で被害者となった女性の事件後の苦悩と葛藤を『コロンバインの空の下』題材は銃乱射事件だが、比較的そのシーンはなく、スポットは被害女性とその家族に当てられている。3作目は2003年の第56回カンヌ国際映画祭にて、パルム・ドールと監督賞を史上初めて同時受賞したガス・ヴァン・サント監督による『エレファント』上映時間が86分という短いながらも、ラストに壮絶な銃撃シーンを据え置き、高校生の何気ない普通の日常を描いた衝撃の問題作だ。最後に紹介するのは『ダイアナの選択』という2009年に公開されたサスペンス映画だ。15年前に起きた銃乱射事件から生還した女性が、長年苦しみながら当時の自らが下した選択に苦悩する姿を描いた作品だ。

私はよく、様々な映画を比較しながら鑑賞します。先ほどの4作と本作『君が生きた証』は大いに比較できる材料が揃っています。上記に述べた4作品は第3者からの視点か被害者からの視点かです。逆に、本作は加害者と加害者の親の視点から描かれています。被害者かなのか、加害者かなのかで、私たちの視点が変わります。物語の中盤で、私たちは衝撃の事実を目撃します。父親サムが、2年ぶりに訪れた息子の墓石には、死者を悼むには、あまりにも心ない言葉がスプレーで書き殴られています。その言葉は『殺人者、死ね』『地獄に堕ちろ』と言った内容です。息子ジョシュは事件の加害者だったのです。ここで観客は、複雑な感情を抱かされるでしょう。物語の序盤は、被害者感情の視点だったのが、中盤から加害者を見る目に変わります。観る側にとってあまりにも酷な展開です。主人公の立場に立って考えると、加害者としての立場と子どもを失う喪失感の間(はざま)で感情が、揺れ動いてしまいます。

まさに私たちは人生の中で現実という壁に遭遇し、それを乗り越える術をもがき苦しみながら、身に着けないといけないのです。この映画は、私たちにそのような生きる糧を見つける材料をたくさん用意してくれている映画なのでしょう。もう映画は夢を見せてくれません。今の映画は、私たちに真実を映す鏡なのでしょう。


一般的に事件の被害者やその家族が「可哀想」な立場で取り上げられることが多いですが、加害者やその家族もとても悲しく辛い思いをしているのだと思い知らされました。
銃乱射事件で息子を亡くしたという情報だけで、事件に巻き込まれたと思い込んでいましたが、まさかジョシュが事件の加害者だったなんて想像もしていませんでした。彼のお墓を見た時の苦しい気持ちは忘れられません。もちろん、被害者の家族は彼のことを許せないでしょう。しかし、被害者も加害者も同じように苦しんでいることを「部外者」である私達は、きちんと知らなければいけないと感じました。(女性 30代)

映画『君が生きた証』 まとめ

この映画を一言で言うとつらい。つらいのです。事件に巻き込まれて家族の誰かが亡くなるだけでもすごくつらく、耐えきれないことだが、その亡くなった本人がその事件の加害者だったら、もっとつらく、悲しいことだ。世間から罵られ、バッシングを受け続ける日々。殺人を擁護するつもりはない。家族の一人が犯した罪は、家族全員で償わなければならない。これは、少し古い考えだろうか?ただ一つ言えることがあるとするなら、犯した罪の深さは、軽罪だろうか重罪だろうか、罪は罪になのだ。その罪に立ち向かい、立ち直ろうとするサムの姿は、心打つもがあるが、被害者への償いが描かれていない。自身の心の整理がついてない以上、そんな余裕はないだろう。ラスト、死んだ息子、罪を犯した息子を想い、いつものバーで最後の歌を歌う姿に少しだけ希望が見える。ただ、サムにとってこれからが、真の試練。現実に立ち向かわなければならない、多くの事が彼を支配するだろう。それを一つずつ乗り越える術を、彼は経験したのであれば、彼は乗り越えられるはず。

映画について、たくさん書きたい事があるが、一番考える点は、加害者家族のことだろう。現実は常に厳しい。この映画は、まだまだ美化していることも多くあるが、今までクローズアップされなかった加害者家族の視点に初めて立たされた。被害者も加害者も、皆一人の人間なのでしょう。

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