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映画『王の運命 歴史を変えた八日間』のネタバレあらすじ結末と感想

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』の概要:李氏朝鮮第21代王英祖が、謀反の疑いで息子の世子を厳しく罰した米びつ事件を描く。世子が亡くなるまでの8日間、生い立ちから現在に至るまでを振り返りながら、父と子の確執を明らかにする。物語の9割が史実に基づいて作られている。

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』の作品情報

王の運命 歴史を変えた八日間

製作年:2015年
上映時間:125分
ジャンル:ヒューマンドラマ、時代劇、歴史
監督:イ・ジュニク
キャスト:ソン・ガンホ、ユ・アイン、ムン・グニョン、チョン・ヘジン etc

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』の登場人物(キャスト)

英祖(ソン・ガンホ)
李氏朝鮮、第21代王。厳しく冷酷な面の中に、父親として息子を思う気持ちを抱えつつ、王としての使命を全うしようとする。本来は愛情深い性格だが、気難しさと神経質さが全面に立つ。
思悼世子(ユ・アイン)
英祖の1人息子で皇太子サド。帝王学よりも絵画や武術に興味が強い。父の期待に応えられず、ストレスを抱えて病んでしまう。のちの正祖、イ・サンの父親。
恵慶宮(ムン・グニョン)
サドの妻でイ・サンの母親。世子妃。夫を影から思いつつ、息子の安泰を強く願い救おうとする。
暎嬪(チョン・ヘジン)
サドの母親で英祖の側室。側室の中でも最高位で思慮深く慈悲深い。
正祖(ソ・ジソブ)
サドの息子でのちの第22代王イ・サン。帝王学と人の心理に明るく賢く聡明。

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』のストーリー(あらすじ)を結末・ラストまでわかりやすく簡単に解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』のあらすじ【起】

1762年7月4日、1日目。
李氏朝鮮時代。第21代王英祖は王暗殺を企てたとして、1人息子の世子を厳しく詰問した。世子は自分の宮の庭に武器を隠し、墓穴を掘り棺桶を作成。更に喪服を着て王を暗殺しようとしていたと言う。父は息子に自害しろと命じたが、当時の法には自害という刑は無く、多くの家臣が息子を庇ったため、世子を米びつに入れ王自らが釘を打った。

英祖は世子が2歳の頃から帝王学を学ばせ、英才教育を施そうとした。息子は聡明で父の問いかけに淀みなく答える。世子は誰からも可愛がられていた。
彼には勉学の師が3人いたが、2つの幼子は勉学半分、居眠り半分という有り様。
英祖は寝る間も惜しんで、息子のために自らが教本を書いたものだった。

2日目。米びつに入った世子の前に、王子の乱交に関わった者達が捕縛され集められた。英祖は自ら触れ書きを発布する。捕縛された者達はその場で処刑。世子は王子から平民へと降格され幽閉刑となった。

世子妃である恵慶宮は、10歳で世子の妻となった。これからは未来の王妃として扱われる。そして、後宮では英祖の神経質なまでの性質を事細かに教えられるのだった。
王は吉事と凶事で使う門を変え、不吉な言葉を聞いた時は耳を洗って、嫌いな人を呼び一言でも話しかける。王は愛憎の表現が極めて明確であり、気難しい性格であった。

3日目の夜。極度のストレスに晒された世子は、米びつ内で幻覚を見る。彼は狂乱状態に陥り、木造の米びつを破壊して外へ。そして、池へと飛び込み自分を殺せと叫ぶのだった。騒ぎに駆け付けた英祖の命により、世子は再び米びつへ戻される。その際、恵慶宮の父である官吏が1本の扇子を密かに中へ入れた。米びつは厳重に縄で巻かれ、芝で覆われる。その間、世子はずっと悲痛な泣き声を上げており、家臣は王の仕打ちに顔をしかめた。

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映画『王の運命 歴史を変えた八日間』のあらすじ【承】

王は15歳の世子を連れ、霊廟へ向かった。英祖の父である先代王は在位46年を誇るが、この王は妻に毒杯の刑を下した。英祖の兄、景宗大王は弟に殺され王座を奪われたと言われている。王座とは兄弟や甥を殺してまで守るものなのである。故に、子を仇のように育てるのだ。そこには、先祖伝来の深い悲しみがある。

在位25年目にして王が突然、退位すると言い出した。家臣達は必死に引き止める。すると、英祖は代替案として代理執政を出した。代理執政とは王の差配を世子が代わって行うものであり、王の負担を軽減するものである。しかし、帝王学を深く理解していない世子は長年、朝廷の調和を築いて来た英祖の苦労を、一日で台無しにしてしまう。家臣からは裁決を迫られ、裁決すれば王に叱責されるという板挟みに苦しむ世子。

そんなある日、陵墓参りの道中。大雨の日だった。王は突然、列の進行を止めて世子を呼びつける。王は世子が嘘を吐いたから、神聖な陵墓参りに雨が降るのだと怒り、息子を陵墓へと参拝させなかった。

4日目。その日は猛暑。水も与えられず喉の渇きに耐えかねた世子は、自らの尿を扇子に受けて飲み干した。そして、開いた扇子の絵に目を止める。その扇子は息子のサンが産まれた際、自分が描いた龍の絵だった。
妻の父も喜び、龍の絵を扇子に仕立て上げ、世継ぎの王座就任時に捧げると言ってくれたのだった。米びつ内で咽び泣く世子。

100日祝いでサンを英祖へお披露目した世子だったが、王は祝いの言葉すらも述べてはくれない。英祖の傍らには身重の若い側室がいる。
暎嬪は王妃の還暦祝いの窺いを立てるが、若い側室がそれへ盾突いた。そのせいで王は苛立ち、その場から全員退室するよう命令する。
当然、後宮では若い側室が罰せられた。身分の低い側室が最高位の嬪に盾突くなどあってはならない。しかし、そこへ王がやって来たため、王太后は王へと意を唱えた。すると英祖は譲位を迫る。王太后は売り言葉に買い言葉で譲位を許した。

吹雪が舞う中、王は即座に宮中から居を移した。世子は王を止めるために広場で平伏を続ける。身を切るような寒さであっても、凍えながらその場を動こうとしない。王妃も暎嬪も王子の命を心配し、王太后を必死に説得。こうなったのは自分のせいだと、王太后は自ら食を絶ち命を落とした。

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』のあらすじ【転】

このことがきっかけとなり、父と息子の溝は更に深まる。英祖は再び王座へと戻らざるを得なくなり、王はこれら全てが、座り込みを続けた世子のせいだと責める。世子は素直に謝ったが、それすらも父は許してくれない。息子は抱えきれない怒りを胸に、荒れ始めるのだった。

その間、たて続けに王妃も逝去。世子は王太后と王妃の死を理由に、代理執政を何日も放置。見兼ねた王は息子を呼び出した。現れた世子はだらしない恰好で更には、王の目前にて女官を叱る。王は激怒。これにより関係は完全に断ち切れてしまう。

5日目の夜。世子妃の宮ではサンの身柄を守る手立てを相談中。

王が新たに若い王妃を迎えた。だが、世子は新たな王妃へ挨拶にも来ない。王と王妃は暎嬪を呼び出して問うも、息子は心を病んでいると言う。世子は自分で作った墓穴で棺桶に入り、延々と念仏歌を聞いているのだ。病んだ世子は挨拶へ向かうため、翌朝になって何度も衣服を着替えては苛立ち、挙句の果てに官吏を1人切り捨ててしまうのだった。

6日目。飲まず食わずで幽閉されている世子。そこへ、息子のサンが幼い妻を連れてやって来る。息子は水を差し出すが、世子は何も答えない。姿を見せた王へ意を唱えたサン。英祖はそれでも許すことなく、サンを親戚の家で処分を待てと言うのだった。

サンは英祖の孫である。この孫がまた、実に聡明で賢い子供だった。王の問には淀みなく答え、試験も完璧に通過。教本の本質を見抜き答えるため、英祖のお気に入りとなる。王はサンを陵墓へと連れて行き、王家について語り合うのだった。
サンはそのことを父に問い詰められるが、父は弓矢を空へ射って、まっすぐに飛ぶ弓矢のなんと潔いことかと悲しげな表情で呟くのである。

ある夜、王はとうとう決意する。王位をサンに継がせる。そのためには世子を廃位しなければならないと。

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』の結末・ラスト(ネタバレ)

還暦を6年も過ぎてから世子が突然、暎嬪の還暦祝いを行う。しかも、母には王妃の衣装を着せ、礼も王妃と王にだけ行う4拝を家族に強要。本来ならば、これは礼節に反した行いである。サンは父の姿に、蔑ろにされる寂しく孤独な心を見た。

そうしてついに、王妃側の陰謀により世子の悪行が明らかにされる。黒幕の存在は明らかであったが、きちんとした取り調べもせず、王は告発者を打ち首にしてしまった。世子は再び、座り込みをした。彼は決して逆賊ではない。だが、父は息子に対して存在自体が謀反だと言う。世子は王に言われた通り、石橋で延々と処分の沙汰を待った。雨に打たれ泣きながら。

限界を迎えた息子は刀を持って闇討ちに向かった。妻の制止をも振り切り、直属の部下達を引き連れ父親の宮へ。強い雨が降る夜だった。
だが宮の前に来た時、サンと王の会話が中から漏れ聞こえてきた。王はサンに暎嬪の還暦祝いの様子を聞いている。なぜ4拝したのかと問われたサンはあの日、礼節よりも父の心を見たのだと答えた。世子は涙を流し刀を下ろした。

7日目。その夜も雨が降っていた。
父はようやく息子と語り合う。父王が期待するほど身を持ち崩した世子。彼はただ、父からの温かい眼差しと言葉だけを望んでいたのだった。しかし、たったそれだけのことすら、1度も叶えられなかったのである。
なぜ、死に際になるまで親子は理解し合えなかったのか。腹を割って話し合えなかったのか。英祖は言う。王家に生まれてさえいなければ良かったのだと。

米びつ内で事切れた息子の頬を父が泣きながら擦る。自分の子供を愛していないわけがない。全ては王家に産まれたが故の運命であった。

世子の亡骸は丁重に埋葬された。王は孫と家臣の願いを汲み、王子の地位を回復。贈り名として息子に、哀しみを思う者として思悼世子と名付けた。サンは父の葬儀に参列させてもらえず、即座に英祖の元へと送られたのだった。

14年後、王は国とサンのために思悼の記録を抹消。そのすぐ後、英祖は逝去した。
そうして、サンが王座を継ぎ、今後は正祖として国を導く。サンは還暦を迎えた母と父の陵墓を参拝。今になって分かることは、サンが王座を継ぐために父が犠牲となったこと。
サンは父と母の還暦祝いを行った。息子の手には思悼が最期まで持っていた、あの龍の扇子がある。彼は父を思い浮かべながら、扇子を操り舞を披露するのだった。

映画『王の運命 歴史を変えた八日間』の感想・評価・レビュー

英祖が述べたように、王家に生まれたことが全ての悲劇のように感じた。王家としての立場や苦しみが感じられる作品ではあったが、心情を全て理解することはできなかった。サドが亡くなったとき、サンに王位を継がせるためだと言っても、死なせない程度の刑ではだめだったのか疑問に残った。王の立場にいる者しか、英祖の気持ちを完全に理解することはできないのだろうと思う。残されたサンは、きっと生涯辛い気持ちを抱えていたのだろうなと思った。(女性 30代)


李王朝時代、実際にあった米びつ事件を史実に基づき制作した作品。
第21代王英祖は気難しく神経質で苛烈な人物だったとされており、そもそも彼がそのような性格になってしまったのには、王に就くまでの熾烈な王座争いが背景にあったからだと思う。故に、子供はサド一人しか儲けず、一心に帝王学を学ばせた。言うなれば、サドが心を病んだのは英祖の間違った教育のせいだと思う。サドは聡明で心優しい性格だったと思われ、根気強く褒めて学ばせれば良い王になったかもしれない。この米びつ事件はかなり壮絶だったらしく、息子イ・サンにはとても悲しい記憶として残っていただろう。今作は壮絶な刑と共に父と息子の確執を描いた酷く悲しい内容ではあるが、とても深く素晴らしい作品である。(女性 40代)


9割が史実に基づいて作られたという事ですが、とにかく切なくて悲しくて重い作品でした。
一国の王とその息子。王の息子として、学問や礼節を身に付けて欲しい父親と芸術や美術の分野に興味を持ち「自由」に生きる息子。「王家」に生まれてしまったが故にその「自由」な生き方が許されず「王の息子」として認めて貰えなかった男の悲しいストーリーでした。
王の葛藤は理解できますが、王であり「父親」なのだから息子への愛情はもっと「真っ直ぐ」なもので良かったのにと悲しくなりました。(女性 30代)

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