映画『サン・オブ・ゴッド』のネタバレあらすじ結末と感想 | MIHOシネマ

「サン・オブ・ゴッド」のネタバレあらすじ結末と感想

サン・オブ・ゴッドの概要:反響を呼んだドラマを映画化した作品。イエス・キリストの誕生から復活までを描いている。それぞれの歴史的人物を各役者が人情味溢れる演技で魅せ、違和感もなく見事な編集が成されている。

サン・オブ・ゴッドの作品情報

サン・オブ・ゴッド

製作年:2014年
上映時間:138分
ジャンル:ヒューマンドラマ、伝記、歴史
監督:クリストファー・スペンサー
キャスト:ディオゴ・モルガド、グレッグ・ヒックス、エイドリアン・シラー、ダーウィン・ショウ etc

サン・オブ・ゴッドの登場人物(キャスト)

イエス・キリスト(ディオゴ・モルガド)
王となり救世主としての予言をされた御子。常に慈愛に満ちた笑みを湛え、静かなる湖面の如く雰囲気を持った謎に満ちた人物。神の言葉を代弁する者。数々の奇跡を人々に見せる。
ピラト(グレッグ・ヒックス)
エルサレムを統治するローマ軍の提督。冷酷無比で非情。失策により左遷され、エルサレムの統治を任せられる。イエスが本物の救世主であることを察しつつも、失脚を恐れ町の統治に重きを置く。
カイアファ(エイドリアン・シラー)
エルサレム神殿の司祭。イエスの信奉者が増加の一途を辿るにあたり、神殿の権威が失墜することを恐れ阻止しようとする。
ペトロ(ダーウィン・ショウ)
イエスの第一の弟子で元漁師。イエスの“岩”と称されていた。キリスト教の土台として、教えの布教をするにあたりイエスに見出された人物。
ヨハネ(セバスチャン・ナップ)
イエスの弟子。マグダラのマリアとイエスの母マリアに付き添い、守り続ける敬虔で忠実な人物。イエスにより彼の母親を託される。
マグダラのマリア(アンバー・ローズ・レヴァ)
イエスの弟子で紅一点。疑うことをせず、イエスを心から信奉している。

サン・オブ・ゴッドのネタバレあらすじ

映画『サン・オブ・ゴッド』のあらすじを結末まで解説しています。この先、ネタバレ含んでいるためご注意ください。

サン・オブ・ゴッドのあらすじ【起】

紀元前6年頃、ナザレ。ユダヤ人の王になると予言された御子が産み落とされ、イエスと名付けられて大切に育てられる。
イエスが成人となり洗礼を受け、荒野の試練へ出ている頃、ユダヤの国エルサレムはローマの支配地となり、民は圧政に苦しんでいた。

提督としてやって来たのはローマ人のピラト。彼は冷酷無比で民を人とも思わない非情さを持った厳格な男だった。
荒野の試練を経た後、ガリラヤの湖へ辿り着いたイエスは、そこで漁師のペトロと出会う。
イエスは彼に大量の魚を授け、奇跡を信じろと説き弟子にするのだった。

その後、ガリラヤ地方を中心に神の言葉を説いて回ったイエス。彼はペトロを筆頭に弟子を12人に増やし、救済の旅を続ける。とある町では歩けない男の脚を癒して歩けるようにし、またある町では徴税人の心を救い、またある時は姦淫して囚われた女性を助けた。
イエスの言葉とその手には不思議な力があり、彼は多くの信じ難い奇跡を起こした。

このことにより、民達は次第にイエスの言葉に心を開き、彼の教えを信じるようになる。しかし、ことあるごとに遭遇しては信仰を邪魔されたエルサレムの神官達は面白くない。神官達は神殿司祭カイアファに、このことを報告した。

それでも、イエスの奇跡は止まらない。5000人の飢えた民に魚とパンを与え、弟子たちの信仰心を試し、そして極めつけは死者をも生き返らせてしまう。噂は広がり、やがて民はイエスをユダヤの王、救世主と呼ぶようになるのだった。

噂は当然、神殿にも流れる。カイアファは奇跡の男イエスを詐欺師呼ばわりし、近く行われるエルサレムの解放を祝う過越の祭りまでには、混乱を防ぐとして神殿内に通達した。

一旦、ナザレへ帰郷したイエス一行。反逆とも思われる説法を説き、イエスの師が斬首の刑に処された話を聞く。彼らはその話を耳にして、いよいよエルサレムへ向かうことを決意するのだった。

サン・オブ・ゴッドのあらすじ【承】

民達の喝采に迎えられたイエス達に警戒を強める神殿側。群衆が騒げばピラト総督が出て来る。提督が動けば、ただでは済まない。
イエスは到着したその足で神殿へ向かった。神殿の広場にて両替の様子を目にしたイエスは愕然とする。祈りの家であるはずの神殿にて行われる両替で不正がなされていたためだ。彼は嘆き、エルサレムの神官達を痛烈に批判し偽善者だと罵るのだった。

翌日、神殿へ再び現れたイエスは説法を説き、追い出そうとした神官を言い負かす。そして、去り際に建物の石1つですら、後世には残らないと言葉を残した。その言葉にカイアファが激怒。イエスの弟子の1人を使って彼の捕縛をしようと考える。

イエスが来たことにより、ユダヤ人が奮起。ローマ人を追い出そうと騒ぎが起こる。連日、騒ぎが起こっているため、これにはピラトも口を出さざるを得なくなる。総督は司祭を呼び出して、翌日もまた騒ぎがおこるようなら神殿を閉鎖し過越祭も中止、外出禁令を出すと言い渡すのだった。
イエスの弟子の1人を呼び出したカイアファ。彼は弟子に甘言を説き、大金を渡してイエスを売るように言った。

過越祭の前夜、晩餐のためにイエスと弟子たちが一室に集まった。食事前の手洗い時、イエスは不意にビジョンを見る。それは弟子の裏切りと自らの死を示唆するものだった。
彼はショックを受けつつも祈りを捧げ、弟子たちにそのことを話す。そして、これは最後の晩餐であり、パンとワインを自分の肉と血だと言い、皆で分け合うのだった。

裏切る弟子に神殿へ向かわせたイエス。ペトロはそんなイエスに自分は裏切らずに躓かないと話すも、イエスには全てお見通しである。ペトロは夜明けまでに3回、私を知らないと言うだろうと彼に予言されてしまう。

サン・オブ・ゴッドのあらすじ【転】

町の外の野営地。イエスは弟子たちに眠ることを許さず、一心に神へと祈りを捧げた。そして、自らが成すべきことを知り、それに従うことを誓う。
そこへ兵を連れた弟子が登場。ペトロは師を逃がそうとするも、イエスは自らが進んで捕縛されるのだった。
麻袋を被せられたイエスは、兵に乱暴な扱いを受けつつ神殿へ連行され、その夜の内にカイアファから死刑の判決を下される。罪状は神殿破壊の脅しと神殿が祀る神への冒涜だった。

判決を聞いた民衆は茫然とする。民衆に交じっていたペトロは、兵に詰問され3回イエスを知らないと答えた。奇しくも予言通りとなってしまい、ペトロは深い後悔に苛まれる。そして、裏切り行為を働いた弟子は兵士に貰った大金を投げつけ、首を括ってしまうのだった。

カイアファはピラト総督に死刑の報告へ向かった。ナザレのイエスが民衆を煽り、暴動を起こそうとしていると。ピラトは直接イエスと会い、彼が本物の救世主であることを知るが、失脚を恐れたピラトは民衆に判断を仰がせることにした。

過越祭とは、かつての圧政者から解放されたことを祝う祭りだ。皇帝の法では祭で囚人を1人解放させることができる。ピラトは見せしめのため、鞭打ち40回の刑を言い渡し、イエスは母親と弟子たちの前で鞭打ちの刑に処される。
その後、牢屋へ戻されたイエスはふざけた兵士によって茨の冠を被せられてしまう。

サン・オブ・ゴッドのあらすじ【結】

カイアファの根回しにより、囚人解放のための会場にイエスの弟子は入れてもらえず、更には扇動によって結局、解放はされなかった。その上、刑は最も重い磔の刑に決定。
兵に暴行され鞭打ちの後、茨の冠を被せられたイエスはすでに満身創痍であったが、死刑場であるゴルゴタの丘まで、自らが磔にされる十字架を背負わされ歩かされた。

丘までの道程は遠く、彼は何度も倒れながら立ち上がって歩く。それは酷く凄惨な姿であった。民衆の1人の助けを借り丘へ到達したイエスは、長衣を脱がされ腰帯1枚の姿で、十字架に転がされる。そして、両手両足を直系1cmほどの釘で打ち付けられ、立ち上げられた。
十字架にはナザレのイエス、ユダヤ人の王と書かれた看板が下げられる。

ヨハネとマリア、イエスの母親はその姿を泣きながら見守る。血塗れで傷だらけのイエスは打ち震えながら、その時を待つ。彼はヨハネに母親を託し神に許しを請うた。
そして、時が経ち。ゴルゴタの丘に暗雲が立ち込める。その時イエスは、御業は成し遂げられたと呟き、自分の魂を神の御手に委ねると言い息を引き取った。
直後、エルサレム一帯に大地震が襲う。神殿は崩れ被害は相当数に上った。

イエスの母親と弟子たちは彼の遺体を綺麗に拭い、丁重に埋葬した。師を失った弟子たちは肩を落とし、道に迷ってしまう。
その3日後だった。マリアがイエスの墓参りに向かうと、墓の入り口が開いている。中には遺体が安置されているはずだが、そこには何もなかった。彼女はそこで、イエスと思われる人物と会う。マリアは急いでペトロとヨハネに報告。確かに遺体が無いことを確認した。
ペトロは復活したのだと喜び、ワインとパンを購入。弟子たちでそれを分け合うと、そこにイエスが姿を現す。弟子たちは師の復活に歓喜した。

イエスはそれから40日間をかけ、弟子たちに教えの全てを話して聞かせる。全てを授けた後、彼は光となって天上へ帰って行った。
ペトロはイエスの教えを広めるため、中心となって弟子たちを世界中へ向かわせる。

だが、その後は波乱万丈であり、弟子たちは迫害に遭い次々と命を落とした。そうして、最後に残ったのはヨハネだけである。彼は国を追われ洞窟でたった1人、生き延びていた。
私はアルファであり、オメガである。始まりであり終わりである。死を待つだけのヨハネの前に、イエスが姿を現してそう語る。ヨハネは泣きながら彼の言葉に耳を傾けるのであった。

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