映画『処女の泉』の概要:スウェーデン映画の巨匠イングマール・ベルイマンが描く、”神の存在意義と人間の罪”を問う物語。出演はマックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ペテルソン。1960年のスウェーデン映画。
映画『処女の泉』 作品情報
- 製作年:1960年
- 上映時間:89分
- ジャンル:ファンタジー、ヒューマンドラマ、ラブストーリー
- 監督:イングマール・ベルイマン
- キャスト:マックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ペテルスン、グンネル・リンドブロム、ビルギッタ・ヴァルベルイ etc
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映画『処女の泉』 評価
- 点数:65点/100点
- オススメ度:★★★☆☆
- ストーリー:★★★★☆
- キャスト起用:★★★★★
- 映像技術:★★★★☆
- 演出:★★★★☆
- 設定:★★★☆☆
[miho21]
映画『処女の泉』 あらすじネタバレ(ストーリー解説)
映画『処女の泉』のあらすじを紹介します。※ネタバレ含む
映画『処女の泉』 あらすじ【起・承】
16世紀のスウェーデン。テーレ家の1人娘カーリン(ビルギッタ・ペテルソン)は、世間知らずのお嬢様で、敬虔なキリスト教信者。朝寝坊をしてしまい、父親テーレ(マックス・フォン・シドー)から教会にロウソクを持ってゆくように言われた。
カーリンは、召使いのインゲリ(グンネル・リンドプラム)を連れて教会に行くことに。インゲリは、異教徒の神を信仰しており、美しいカーリンを日頃から疎ましく思っていた。
カーリンの母親は、晴れ着を着て嬉しそうな娘を見ながら少し心配になるのだった。カーリンとインゲリは、両親と召使いに見送られて出発した。
2人は、小川や野原を越えて進んでゆくが、インゲリは小川の流れる小屋の近くに来た時、不安な気持ちを覚えた。インゲリはお腹も大きく、休憩が必要だった。
カーリンに教会へ行かないほうがいいのではと言うが、カーリンはインゲリを小屋に残して進んだ。インゲリは小屋の主人に異教徒の神を信仰していることがばれてしまう。
怖くなり、インゲリは逃げ出した。
映画『処女の泉』 結末・ラスト(ネタバレ)
深い森を進んでゆくカーリンの姿を、3人の男たちが見つめていた。3人は山羊を連れていたが、言葉巧みにカーリンを誘い、一緒に昼食を食べることに。
ところが、カーリンが盗んだ山羊だと気づいたため、男たちはカーリンを強姦し、殺してしまう。1人の少年が恐ろしい気持ちを抱えながらその一部始終を見ていた。
インゲリは、ようやくカーリンに追いついたが、カーリンが強姦され、殺されてしまうまでを目撃してしまう。恐怖と呪いが成就した思いでその場から動けなくなってしまう。
夜になったが、娘カーリンは帰ってこない。両親が心配していると、浮浪者の男たちが現れ、泊めて欲しいと言う。スウェーデンは寒く、厳しい土地だった。
カーリンの父親は快く3人を迎え、夕食を振る舞った。しかし、少年は昼間に目撃したことが恐ろしく、罪の意識で食事が喉を通らないのだった。
その日の夜。3人の様子を見に行ったカーリンの母親は、浮浪者たちからカーリンの晴れ着を見せられ、買わないかと言われます。
母親は、一目見て娘カーリンの晴れ着だと分かり、血がついていたことから殺されたと感じた。彼女は、眠っている夫を起こし、娘の晴れ着を見せます。
浮浪者たちに復讐をするため、父親が刃物を持って外に出ると、召使いのインゲリが震えていた。インゲリに事情を聞くと、”私が呪いました。カーリンは殺された。”と告白するのだった。
父親は、白樺の樹を倒し、枝を切ると沐浴をした。そして、浮浪者たちの部屋へ向かった。父親は浮浪者から少年に至るまで殺した。
そして、父親は神に問う。”何の罪もないのに殺された我が娘、そして復讐を果たした私をなぜ、止めてくれないのですか!私は、娘が亡くなったこの地に教会を建てます。”と誓う。
すると、娘の亡骸があった場所から、泉が湧き出したのだ。
神に許されたのか?私には分からない。
映画『処女の泉』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)
映画『処女の泉』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む
神様なんていない
北欧の巨匠イングマール・ベルイマンの傑作といわれる「処女の泉」。3大傑作の1つだと知り期待していましたが、なんだがぐったりしてしまいました。
もう、とにかくキリスト教以外は認めないという世界観で、自分が犯した罪でさえ、神に委ねようとします。私はキリスト教を信じていないので、逆に神に委ねようとする考え方が怖いと思いました。
イングマール・ベルイマンは、牧師の家に生まれ、信仰についてずっと考えてきました。もし、彼がキリスト教以外の考え方があることを知ったなら作品も違ったかもしれない。
神に祈りを捧げるシーンなど幻想的で美しい。例えば、罪について。殺された娘は本当に何も悪くないのだろうか?世間知らずという甘えがあったのではないか。
また召使いの娘は異教の神を信じているから悪い人と決めつけているのではと思います。どうか誤解しないで下さい。多くの考え方を知らなければ、人間は1歩も前に進めないのですから。
ミステリーで解く、ベルイマンの世界
「処女の泉」を見て、分からない事だらけではありませんか?分かる範囲で考えてみたいと思います。一番、不思議だったのは、父親テーレが殺人を犯す前に白樺の枝を燃やし沐浴をするシーン。
キリスト教では、沐浴というと洗礼のイメージ。これから行う殺人を正当化しようと考えたのではないかと思います。
次に、なぜカーリンは山羊が盗まれたものだと分かったのか?彼らが貧しい浮浪者だったから。そして山羊は、悪魔の象徴であり異教徒を意味します。
最後に劇中に湧き出てきた泉。これもキリスト教のシンボルで解釈すれば、”生命の源”であり、尽きることのない永遠の命へ広がってゆきます。有名なルルドの泉もありますね。
そうなると、父親テーレの罪は神によって許されたと考えてもよさそうです。一説によると、最初にベルイマンが考えていたラストではなかったようです。もう1つのラストを観たかった!
めちゃくちゃ怖くて気味の悪い作品でした。なんの信仰もない私にとって、神は「存在しないもの」だと思っているし、神に頼りたいとか助けて欲しいなんて気持ちになったことは一度もありません。
しかし、この作品を見ていると熱心な信者は娘はなぜ殺されたのかと理不尽さを神に問うのは当たり前で、更に自分の犯した罪まで神のせいにするんだと驚きました。
呪いも救いも神の存在も信じていない私にとっては理解するのが難しい作品でした。(女性 30代)
映画『処女の泉』 まとめ
とても難解な作品だが、キリスト教のシンボルで読み解くと、また違う一面が見えてきて面白い。モノクロだと、女性の肌が美しく見えるのも貴重だと思う。
宗教をテーマにした作品は観るのに少し勇気がいるが、まずはイングマール・ベルイマンから観て欲しい。おすすめは、「野いちご」。
老医師のある1日を通して、人生や孤独を知る物語です。回想シーンのシュールな笑いが病みつきになってしまうのだ。
「処女の泉」は、キリスト教が好きなら優しいかもしれないが、他の古典作品に多く親しんでからの方がいいだろう。
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