映画『レスラー』の概要:かつてプロレス界のスターだったランディは、現在は斜陽の老年レスラーである。心臓発作で倒れたランディは、死を前にして初めて自分の人生と向き合う。ダーレン・アロノフスキー監督、ミッキー・ローク主演の骨太なヒューマンドラマ。
映画『レスラー』の作品情報
上映時間:109分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:ダーレン・アロノフスキー
キャスト:ミッキー・ローク、マリサ・トメイ、エヴァン・レイチェル・ウッド、マーク・マーゴリス etc
映画『レスラー』の登場人物(キャスト)
- ランディ・ラムジンスキー / ザ・ラム(ミッキー・ローク)
- 老年のプロレス選手。80年代には大スターだったが、現在は体力、名声ともに衰えている。普段はスーパーで勤務し、週末は小さなプロレス興業に参加している。
- キャシディ(マリサ・トメイ)
- ランディが思いを寄せる薹の立ったストリッパー。9歳の息子がいる。
- ステファニー・ラムジンスキー(エヴァン・レイチェル・ウッド)
- ランディの娘。ランディとは長年疎遠になっている。
- ニック(ウェス・スティーブンス)
- ランディが所属する小さなプロレス団体のプロモーター。
- ジ・アヤトラー / ボブ(アーネスト・ミラー)
- 20年前にランディと伝説的な死闘を繰り広げた元レスラー。現在は中古車ディーラー。ランディとの再戦企画に参加する。
- ネクロ・ブッチャー
- 実在のアメリカ人プロレスラー。デスマッチが得意。
- ロン・キリングス
- 実在のアメリカ人プロレスラー。試合を見に来たランディを打ち上げに誘う。
映画『レスラー』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『レスラー』のあらすじ【起】
かつてプロレス界のスター選手だったザ・ラムことランディは、現在は体力、名声ともに衰えた高齢レスラーである。ランディは地方のスーパーの倉庫で勤務し、週末は小さなプロレス団体の興業に参加している。
ある日、ランディの所属するプロレス団体のプロモーターのニックが、ランディとジ・アヤトラーとの再戦を企画する。20年前、ランディとアヤトラーは伝説的な死闘を繰り広げた。ランディは、この試合でプロレス界に返り咲くことを期待する。
ランディは、ストリッパーのキャシディが勤めるクラブへ足を運ぶ。ランディは長年キャシディに思いを寄せている。ランディはキャシディを指名し、キャシディの踊る姿を眺めながら、自身の昔話やアヤトラーとの試合への期待を語る。
ランディはプロレスラー仲間から、ステロイド剤を含めて様々な薬品を購入している。ある日のデスマッチの後、ランディはステロイド剤多用が原因の心臓発作に襲われ、気を失う。病院で目を覚ましたランディは、担当医から緊急バイパス手術を受けたことを知らされる。
安静を言い渡されたランディは、退屈な日々を送る。孤独に耐えられなくなったランディは、ストリップクラブにキャシディを訪ねる。ランディは、心臓発作のことをキャシディに打ち明ける。キャシディはランディに、疎遠になっているランディの娘ステファニーに連絡を取るように勧める。
ランディはステファニーに直接会おうと、ステファニーの自宅に赴く。何年間も音沙汰の無かった父親を、ステファニーは無視する。ランディは学校へ向かうステファニーを呼び止め、自分の病気について話し復縁を望む。ステファニーはランディを拒絶する。
ランディは、かつての有名レスラー達のサイン会に参加する。サイン会は大盛況になると予想されていたが、実際には閑古鳥が鳴いている。レスラー仲間達の老いた姿を目の当たりにして、ランディは不安に駆られる。
映画『レスラー』のあらすじ【承】
ランディはストリップクラブへ足を向け、キャシディにステファニーと仲直りするためのアドバイスを乞う。キャシディは、服をプレゼントすることを提案し、服を選ぶことを手伝うと申し出る。
次の土曜日、ランディは、待ち合わせ場所に現れたキャシディの普段の姿にときめく。ステファニーへの贈り物を購入した後、ランディはお礼にとキャシディをバーに誘う。キャシディは、子持ちであることを告白し早く帰ろうとするが、ランディの好意を受け入れる。
バーで、ランディとキャシディは話がはずむ。ランディは、思わずキャシディにキスをする。キャシディは店の客とは一線を越えないと固く決めている。ランディとの関係が発展することを恐れたキャシディは、ランディを残してバーを出る。
毎週末に時間が空いたランディは、スーパーでの勤務時間を増やす。ランディは慣れない惣菜売り場での仕事に始めは戸惑うが、次第に仕事を楽しめるようになる。
ランディは各地のプロモーターに電話して引退を告げる。ニックにも連絡を取り、アヤトラーとの再戦を中止してくれるよう伝える。
ある日、ランディはステファニーを再度訪問し、プレゼントの服を渡す。ランディは打ち解け始めたステファニーを散歩に誘う。二人は、ステファニーが幼い頃によく一緒に来ていた場所を散策する。ランディは、今まで家庭を省みなかったことをステファニーに謝る。ランディとステファニーは邂逅する。
別れ際、ランディとステファニーは次の土曜日にディナーに行くことを約束する。
映画『レスラー』のあらすじ【転】
翌日、ランディはキャシディと話すためにストリップクラブへ行く。ランディは娘との復縁はキャシディのおかげだと感謝し、キャシディにもっと近づきたいと告白する。ランディとの関係に踏み込めないキャシディは、ランディをはねつける。二人は口論になり、ランディは店を追い出される。
金曜日にランディは、あるプロレス興業を観戦しに行く。試合後のステージ裏で、ランディは後輩達から打ち上げに誘われる。打ち上げ先のバーで、酔ったランディはコカインを勧めてきた女とトイレでセックスをする。
翌朝、ランディは女の家で目を覚まし、自宅に戻ると寝入ってしまう。再び目覚めると、ステファニーとのディナーの待ち合わせ時間から2時間も経っていた。
ランディは急いでステファニーの家へ向かう。ステファニーの同居人は、ランディを中に入れようとしない。門前払いされたランディは無断で家の中に入る。ステファニーはランディに裏切られたと思い、嘆き悲しんでいる。ランディはステファニーと話し合おうとするが、ステファニーは取り乱して聞く耳を持たない。二人の親子関係は再び破綻し、ステファニーはランディと絶交する。
スーパーの惣菜売り場での勤務中、一人の男性客がランディがかつての有名レスラーであることに気付く。衆目の前で過去を公言されたランディは動揺し、店の設備のスライサーで右手に大怪我を負う。やけになったランディは、怒りにまかせてスーパーを辞職する。
ランディはニックに連絡し、アヤトラーとの再戦を再び取り付ける。
映画『レスラー』の結末・ラスト(ネタバレ)
アヤトラー戦への出発直前、キャシディがランディの自宅へやって来る。キャシディは、先日ランディの告白を退けたことを謝り、やはり店の客とは一線を越えられないと話す。ランディはキャシディの立場を理解し、キャシディに別れを告げる。ランディは車でアヤトラー戦の会場へ向かう。
キャシディはランディのことが気になり、ストリップダンスに集中できない。キャシディは仕事を放り出し、ランディのいる会場へ車を走らせる。
会場に着いたキャシディは、ランディの控え室に駆け込む。キャシディはランディへの愛を告白し、この先も生きるために試合に出ないで欲しいとランディに頼む。ランディは、自分の居場所はリングにしかない、と悟っている。ランディはキャシディの意見を聞かずにリングへ向かう。
ランディが、レスラーとしての誇りと観客への感謝をマイクで述べた後、試合開始のゴングが鳴る。ランディとアヤトラーの熾烈な戦いに、会場は盛り上がる。アヤトラーはランディの体調を気遣い、アンディに負担が少ない試合展開をしようとする。最後まで見ていられなくなったキャシディは会場を去る。
試合の途中、ランディは心臓発作に襲われるが、無理を押して続行する。ランディがアヤトラーを制する場面で、アヤトラーは速やかに試合を締めくくろうとランディに簡単な技を提案する。ランディは観客の声援を受けて、必殺技『ラム・ジャム』を使おうとする。
ランディが、『ラム・ジャム』を繰り出そうとリングコーナーに上る。ランディは『ラム・ジャム』の決めポーズを取り、リングにジャンプする。
映画『レスラー』の感想・評価・レビュー
落ちぶれたかつての人気レスラーの悲哀を描く本作。本作を特別な映画にしているのは、自身のキャリアの浮き沈みとも被る役柄を哀愁を漂わせながら見事に演じ切ったミッキー・ロークの功績によるものが大きい。周囲には笑われ、愛する人には拒まれ、そんな彼が最後に選ぶのはリング。そこでしか生きることができない人間の哀しさに我々は涙をする。そして、そんな不器用な彼を我々は愛さざるをえないのだ。中年ストリッパーを演じたマリサ・トメイも良かった。(男性 20代)
ミッキー・ローク完全復活と言われている作品。
「ナイン・ハーフ」の優男はもうどこにもいないけれど、強面の大男はあの頃よりも格段に格好いい。
全盛期から20年、今も現役にこだわるプロレスラー・ランディ。
いつか終わるならうまく立ち回らなければいけないのだろうけど、彼の優しさ、不器用さ、とても悲しくてその決断を応援したくなってしまう。
プロレスシーンはとても痛い、プロレスラーって大変な職業ですね。(女性 40代)
みんなの感想・レビュー
ダーレン・アロノフスキー監督の映画では『ブラック・スワン』と対になっている作品で、ともにショービジネスに身を燃やしていく様が描かれるが、スワンでは駆け出しの女性が身を投じるまでを、そしてこちらではそうして生きてきて燃え尽きつつある男性を描いている。どちらも実際的なドラマでありながら主人公が抽象的・観念的な存在になっていく姿が痛ましい。幸せがどうとかではなくてそう生きる鬼みたいな感じかな。満点に近い映画だと思う。