映画『蝶の舌』の概要:喘息を持った内気な少年モンチョと、心優しい老人の教師グレゴリオ。グレゴリオの教えは決して人を叩いたりはせず、勉強よりももっと大切な何かを教えてくれる。そんな先生にモンチョは成長していくが、その裏では無情にも内戦の兆しが濃くなっていた。
映画『蝶の舌』の作品情報
上映時間:95分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:ホセ・ルイス・クエルダ
キャスト:フェルナンド・フェルナン・ゴメス、マヌエル・ロサノ、ウシア・ブランコ、アレクシス・デ・ロス・サントス etc
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映画『蝶の舌』の登場人物(キャスト)
- モンチョ(マヌエル・ロサノ)
- 喘息のために、1年遅れて小学校へと入った。内向的な性格で、初めて向かう学校という空間が恐ろしくて仕方がない。初めは担任のグレゴリオに対しても「叩かれるのではないか」と怯えていたが、それが誤解だと分かり彼の授業に少しずつ変わっていく。
- ドン・グレゴリオ(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)
- モンチョのクラスの担任で、老教師。見た目は怖そうだが、体罰をしたり怒鳴りつけるような教育は絶対にせず、皆が言うことを聞くまで静かに待つような穏やかな性格。モンチョ達には普通の勉強よりももっと楽しい知識や生物学などを教えている場面が多い。
- アンドレス(アレクシス・デ・ロス・サントス)
- モンチョの兄。サックス奏者になるのが夢で、いつもサックスを練習しているがレッスン先の先生からは「今一つ」だと言われる腕前。
- モンチョの父(ゴンサロ・ウリアルテ)
- 仕立屋を経営している。半共和派なのか教会へお祈りへは向かわず、神の悪口も言う模様。
- モンチョの母(ウシア・ブランコ)
- こちらは信心深く、いつも教会にお祈りを捧げに行っている。「アテオ(無神論者)」であるグレゴリオを当初はあまり良く思っていないような場面もあった。
映画『蝶の舌』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『蝶の舌』のあらすじ【起】
1936年、スペインの片田舎で喘息を患った少年モンチョは1年遅れで小学校へと入学した。しかしモンチョは父親の言葉の影響で、学校では先生に叩かれる場所だと思い込み、怖くて行きたくなかった。父のお陰で彼は文字書きが既にできたが、人見知りが激しく内向的だ。担任のグレゴリオ先生はそんなモンチョにも優しく接してくれるが、緊張のあまり彼はクラス内でお漏らしをしてしまう。笑われ思わず学校を飛び出したモンチョは、そのまま山の中で晩を過ごすが探しに来た家族に助けられ家へと帰る。謝りに来たグレゴリオだったが、両親は先生に責任はないしモンチョも風邪1つひかずに元気だと話す。しかし、グレゴリオはモンチョは繊細な子だ、謝って学校へまた戻ってきてくれるように言いたいと頼み込む。おずおずと奥から出てきたモンチョに今のこともすぐに笑い話になると優しく笑いかけ、モンチョもグレゴリオのその言葉を信じることにする。
そして翌日、学校へ出席したモンチョ。先生の授業は楽しかったが、あるクラスメイトの少年の両親が教室を訪れる。その両親が言うには息子の算数のできが悪いことに不満なようで、叩いてもいいから厳しく躾けて欲しいと鶏を置いて去って行く。困ったグレゴリオは医者から鶏の脂肪は食べてはいけないと言われていることにして、少年にそれを持ち帰らせる。グレゴリオは機転を利かせ、鶏を題材にしたクイズを出し静まり返っていたクラス中が沸き上がる。その問題に正解したのはモンチョで、モンチョはそのままロケという少年の横に着くこととなった。ロケの横に腰かけるなり彼は言う、「僕も最初の日に漏らしたんだ。それも糞を」
その日家に帰るなりモンチョは嬉しそうに兄と母に話す、グレゴリオは叩くような先生ではないと。先生を気に入っていることに安堵しつつ、母はグレゴリオが「アテオ」であるということに複雑そうだった。アテオとは無神論者のことで、つまり神を信じない人種を指す。そしてそれは罪深いことだと言い聞かせる母に、モンチョは「なら悪魔はいるの?」と問いかける。母は勿論悪魔も存在していると言い、悪魔は元は天使で地獄へ追いやられた存在であると話す。ならばどうして神様は悪魔を殺さないのか、と尋ねるモンチョに母は「神様は殺さないの」と答える。
映画『蝶の舌』のあらすじ【承】
ある日、モンチョは学校で仲良くなった酒場の息子・ロケの家へと遊びに行く。ロケは大人達の卑猥な話を盗み聞きした後、その客の後を尾行し性行為に耽る姿を覗き見る2人。ロケはやることは犬の交尾と同じだが、人間の場合は愛し合っている時にしかしないと話す。それを聞いたモンチョは「あれは愛し合っていないよ」と答える。
図画の授業中、生徒達が騒いでいると先生は皆が静かになるまで何もしないと言いあっちを向いてしまうグレゴリオ。家に帰るなり、モンチョはそのことを兄のアンドレスに話す。アンドレスは父に黙って煙草を吸いながら、それからどうなったのか尋ねると生徒達は段々と静かになりグレゴリオは最後にありがとうと言ったと話す。人見知りだったモンチョだったがこの頃にはグレゴリオのお陰もあって当初と比べると明るい少年になっていた。休み時間には、サッカーで遊んでいる時に仲間に入れて貰えなかった腹いせからロケに向かってボールを当てた少年、ホセ・マリアと取っ組み合いの喧嘩になる。ホセ・マリアは例の鶏を持ってきた両親の息子で、クラスでも1番の権力者の子供らしい。2人の喧嘩を静かに止めるグレゴリオは、彼らを「まるでヤギの喧嘩だ」と言い、教室でモンチョとホセ・マリアに仲直りの握手をさせる。それからグレゴリオは春が近づいているから、生物の勉強をしようと提案する。そしてグレゴリオは、蝶にも舌がありその舌は長く伸び細くゼンマイのように渦巻き状態になっていると話す。その話に興味津々のモンチョ。
ある晩、アンドレスのサックスのレッスンについていく道中でブルー・オーケストラ楽団の団員であるという男性・マシアスに呼び止められる兄弟。男性は仕立屋の息子である2人のことを知っており、かつて制服を仕立てて貰ったことがあったそうだ。アンドレスにサックスの奏者として楽団へ入らないかと誘いをかけ、両親に相談する兄弟。母親は渋々といった感じであったが父はものにならないよりいいとその背中を押す。最初の仕事はカーニバルでの演奏だった。早速借りてきた衣装を見せると大きすぎるのでもう少し詰めようということになる。カーニバルではアンドレスは「吹くふり」だけでいいそうだ。息子が演奏していると思い母はその姿を見て感動する。モンチョも友人で意中の女の子のアウローラに誘われてダンスを始める。カーニバルを覗きに来ていたグレゴリオにそれを褒められ盛り上がった矢先、突如の悪天下に陥りカーニバルは中止になってしまう。
映画『蝶の舌』のあらすじ【転】
その日の授業は外へ出て生物についての勉強だった。グレゴリオは蝶の舌の話を覚えているかと生徒達に問いただす。モンチョが「ゼンマイみたいになってるんでしょう」と答えるとそうだ、とグレゴリオは花に止まった蝶を指した。「花びらの奥に舌を伸ばし、蜜を吸うためさ。驚かさないようそっと近づいてご覧」――グレゴリオは花に止まった蝶を指しながらそっと足を進めてゆく。興味津々の生徒達だったが、途中モンチョが喘息の発作を起こしてしまう。グレゴリオはモンチョを川に沈め緊急措置を施した。モンチョを家へ連れて帰ると、信心深い母はモンチョは昔、初めての聖体拝領で緊張により発作が起きたそうな。その時に神父様が聖水をかけた途端に治ったと言う。そんな母を尻目に父は「彼女は熱心な信仰家で」と補足する。すると突然、父がお礼代わりにとグレゴリオのスーツを仕立て直すことになる。遠慮するグレゴリオだが勝手に寸法を測り始める。その晩、初めはグレゴリオを無神論者だと警戒していた母も、彼をいい先生だと言うようになった。
モンチョはグレゴリオの元に仕上がったスーツを届けに行くが、グレゴリオはスーツを着て大喜び。その間、モンチョは彼の部屋から若い女性の写真を見つける。グレゴリオの若い頃、まだ22歳にして亡くなってしまった奥さんの写真のようであった。それからグレゴリオは本を読むと良い、とモンチョに『宝島』の本を貸してくれる。更には虫取り網をプレゼントし、使い方が分からないモンチョと共に蝶を捕まえに行くグレゴリオ。蝶を捕まえ興奮するモンチョとロケだが蝶の舌が見たいと言う。しかし、顕微鏡が無くては見れないだろうと言われ、じきに学校へ届くから気長に待とうと言われる。
そんな晩の日、食事中に女性が父を訪ねてくる。女性はカルミーニャと言い、ロケと共に性行為を盗み見したあの女性だ。母の機嫌が一気に悪くなり、モンチョとアンドレスに二階へ行くよう怒鳴る。カルミーニャは母が亡くなったが葬儀代がない、と相談しているようだった。アンドレスはある程度事情を知っているようで、モンチョが聞けばどうもカルミーニャは父が浮気した時に(厳密にいえば母と結婚する前によそにできた)できた娘らしいのだ。そしてカルミーニャの本業は娼婦のようであった。
カルミーニャの母の葬式をこっそり覗き見した後、帰り道、果樹園で果物を取っているグレゴリオと出会うモンチョ。友人の果樹園らしいがグレゴリオは林檎を1つ分け与え、何処に言っていたのか尋ねる。するとモンチョは葬式を見たと言い、人は死んだらどうなるのかと先生に問いかける。君はどうなると思う、と聞き返してくるグレゴリオにモンチョは「ママはこう言ってる、善人は天国へ。悪人は地獄へと……」「お父さんは?」「パパはこう言うんだ、最後の審判の時に金持ちは弁護士を雇うって。ママは嘘だと言う」――それに対し、君はどう思うと聞くグレゴリオ。モンチョは考えるのは怖いと言い、するとグレゴリオは「絶対に誰にも言ってはいけない」と真剣な表情で話し始めた。モンチョが頷くと、グレゴリオは「地獄なんて存在しない」と言う。地獄というのは憎しみや残酷さから生まれ、そしてそれらは人間の心が創り出すものだと。
1936年4月14日共和国万歳――スペイン内戦の色が、少しずつ濃くなり始めた頃。村では共和派をひっそり崇め小さな催し物を開く村の者達。モンチョたち一家も楽団として参加しており、グレゴリオ先生の姿もあった。すると、ブルー・オーケストラに遠征の話がかかる。サンタ・マルタ・デ・ロンバスの祭りでの出演依頼だそうだ。旅費は向こうが持つことになり早速楽団は出発する。モンチョは旗持ちとして正面を歩き、演奏を終えた後兄弟はそこの民間人の家に泊まらせてもらうこととなる。アンドレスはそこにいた中国人の娘に1目惚れしてしまうが、まだ幼い少女は宿主の娘かと思いきや妻であった。少女は4歳の時、家畜の世話に連れて行った時に飢えた狼に噛みつかれてしまったらしい。それから彼女は狼の元で無事見つかったが、それ以来1言も言葉を発さなくなってしまった。あっという間の内に失恋したアンドレスは村祭りの夜に楽団を覗きに来た彼女に向け、サックスを聞かせてあげる。彼女はどこか寂しそうな笑みを浮かべていたが、それに耳を傾けてくれていた。その内夫に見つかり無理やりその場から連れて行かれてしまうものの、翌日の帰り道では彼女が見送りにやってきて手を振ってくれたのであった。
映画『蝶の舌』の結末・ラスト(ネタバレ)
高齢のグレゴリオは引退を控えていた。教室の中には父兄や学校の関係者が集まっており、モンチョの両親の姿もあった。グレゴリオはスピーチとして自分達の将来、国について懐疑的になっていることを述べる。「私達に未来はあるのか。狼と羊が仲良くなることはないでしょう。しかし私は信じています。もしある世代が自由なスペインに生まれ、育つことができたら、その時はもう誰も自由を奪えないだろう。誰もその貴重な宝を盗めない。さぁ、自由に飛び立ちなさい」――拍手に包まれながら、グレゴリオは教室の皆を解放する。どこか悲しそうなモンチョ。「もう虫取りに行けないの?」と尋ねるモンチョに「明日から夏休みだ、沢山行ける」と笑い、グレゴリオは頼んでおいた例の顕微鏡を取り出した。
次の日、クワガタや虫を捕まえるグレゴリオとモンチョだったがいよいよ念願の蝶を捕まえる。グレゴリオが顕微鏡を使おうとした矢先、モンチョは遠くで聞こえる別の声に誘われ走って行ってしまう。そこにはモンチョが恋をしている少女で、友人ロケの妹アウローラ達が水辺で遊んでいた。モンチョがどうしようかと悩んでいると、グレゴリオはかつて彼らに話した「ティロノリンコ」の話を持ち出す。ティロノリンコという鳥は求愛行動として雌に高級な蘭の花を贈るのだ。グレゴリオは手近の花を差し出し、モンチョに手渡させる。2人の邪魔はしないよう、そっとその場を去るグレゴリオ。
やがてスペイン内戦の色が濃くなりつつあった。王政か共和政か、議会制かそれとも大統領制か、共産主義かファシズムか――スペインの民主主義は危機に瀕している。
ある日、皆とサッカーを楽しんでいたモンチョだったがアフリカで戦争が起きたから家へ戻れとアンドレスが伝えに来る。家に帰るなり新聞を隠したり党員証を隠したり、父は教会へは行くし共和派ではないと答えろと母に言われる息子達。そしてモンチョはこうも言われる、「パパは先生に服を作らなかった」。悲しみに暮れる家族。モンチョ達の村にも反乱軍がやってくるようになり、共和派を次々吊し上げていくようになっていく。
日曜日、教会の前に集められた村の人々。トラックが止まり、中から連れてこられたのは共和派としての信念を曲げず、拷問にも遭いながら両手を縛られ「恥知らずの反逆者」と罵られながら出てくる人々の姿だった。彼らは銃殺されるためにこれから連れて行かれるらしい。モンチョたちの家族も集められ、モンチョの母は「アテオ!」と罵りながら次々連れて行かれる人々をなじる。中にはロケの父親もいて、怪しまれないためにも父や兄も一緒になって罵声を浴びせることとなる。アンドレスは同じ楽団の団員も目撃し、言葉を失う。ロケの家族は泣きながら父を引き止めるが強制的に連れて行かれてしまう。――そして最後に出てきたのはグレゴリオ先生だった。怪しまれないためにも、本意ではないが「人殺し」と叫ぶ父。泣きそうな声になりながら「アナキスト、クソッタレ……」と力なく呟き、しかし最後は涙で声を押し潰す。トラックに収容されたグレゴリオを見ながら、母はモンチョに向かって叫ぶように言う――モンチョは母に言われたよう、グレゴリオの目を見つめながら叫んだ。「アテオ! アカ! アカ!」……泣きそうな顔のグレゴリオの顔が遠ざかる。走り出した車を追いかけモンチョは叫ぶ。他の子供達もそれを追いかけ罵声を浴びせながら石を投げつける。「アテオ! アカ!……ティロノリンコ!……蝶の舌!」只、モンチョだけは先生に届くよう、グレゴリオから教わったその言葉をさよならの代わりに叫ぶのであった。
映画『蝶の舌』の感想・評価・レビュー
物語はずっと牧歌的なムードで、美しい風景に音楽とほのぼのとしているのにラスト10分くらいで一気に紛争ムードが色濃くなり、後はもう滑り落ちるような、これ以下は無いというくらい救いのない悲しい結末。モンチョの言葉と気持ちが、先生に届いていると信じたいと願わずにはいられない。子供の目から見た戦争物といえば『ブリキの太鼓』や『パンズ・ラビリンス』、『悪童日記』等もあるが、あちらよりはずっとのんびりして、マイルドかな。(MIHOシネマ編集部)
本作は、内戦が近づくスペインを舞台に、担任のグレゴリオ先生と少年モンチョの交流を描いたヒューマンドラマ作品。
生物や自然との触れ合いによるやさしさで溢れるようなグレゴリ先生の教育が素敵。
ラストで内戦が始まり穏やかな日常は一変、残酷な結末となったのは非常に理解しがたく心苦しかった。
宗教意識の違いや人種差別によって戦争をするのは考えただけでも恐ろしい。
モンチョが「さよなら」の代わりに叫んだ言葉は涙なしには観れなかった。(女性 20代)
身体が弱く、内気な少年と優しく大らかな教師との絆の物語はとても温かく心が安らぐものでした。こんな先生に出会えたら、人生は豊かなものになるだろうし自分のことも他人のことも大切にできるだろうと思います。
しかし、その優しく暖かな世界を壊したのは戦争でした。大好きな先生に心無い言葉を浴びせなければいけないと言うのは、見ているのが苦しくなるほど辛いシーンでした。先生もそれを理解しているのだろうと分かるからこそ、モンチョの最後の言葉が切なすぎて自然と涙から零れてきました。(女性 30代)
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