映画『パリ、テキサス』の概要:「パリ、テキサス」(原題:Paris,Texas)は、1984年の西ドイツ・フランス合作映画。監督は「さすらい」、「アメリカの友人」などのヴィム・ヴェンダース。主演は「エイリアン」、「ニューヨーク1997」などの名脇役ハリー・ディーン・スタントン。共演は「最後の橋」、「夜」のベルンハルト・ヴィッキ。「テス」、「キャット・ピープル」のナスターシャ・キンスキー。他にディーン・ストックウェル、オーロール・クレマン、ハンター・カーソンなど。音楽はアメリカのミュージシャン、ギタリスト、歌手、作曲家のライ・クーダー。
映画『パリ、テキサス』 作品情報
- 製作年:1984年
- 上映時間:146分
- ジャンル:ヒューマンドラマ
- 監督:ヴィム・ヴェンダース
- キャスト:ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキー、ハンター・カーソン、ディーン・ストックウェル etc
映画『パリ、テキサス』 評価
- 点数:90点/100点
- オススメ度:★★★★★
- ストーリー:★★★★★
- キャスト起用:★★★★★
- 映像技術:★★★★★
- 演出:★★★★☆
- 設定:★★★★☆
[miho21]
映画『パリ、テキサス』 あらすじ(ストーリー解説)
映画『パリ、テキサス』のあらすじを紹介します。
テキサスの荒野をボロボロのスーツ姿で一人の男が思いつめたように歩いている。彼はガソリン・スタンドに入り、冷蔵庫の氷を口に含んでそのまま倒れた。医者に担ぎ込まれた彼は身分証明もなく、空っぽの財布から一枚の名刺を見つけた医師が、その男の弟ウォルト(ディーン・ストックウェル)に連絡を取った。男はトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)といい、4年前に失踪したままになっていた。病院から脱走したトラヴィスをウォルトは追うが、トラヴィスは記憶を喪失している様子だった。トラヴィスは喋ることを忘れたかのように押し黙り、飛行機に乗ることも拒む。車の中でウォルトは、さりげなく彼の妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)のこと、ウォルトと妻のアンヌ(オーロール・クレマン)が預かっている息子ハンター(ハンター・カーソン)のことを聞くが、何も答えない。ただ〈パリ、テキサス〉という、自分がかつて買った土地のことを呟いた。そこは、砂に埋もれたテキサスの荒地だが、父と母が初めて愛を交わした所だとトラヴィスは説明した。ロサンゼルスにあるウォルトの家に着いたトラヴィスを、アンヌと7歳に成長したハンターが迎えた。ハンターとトラヴィスの再会はぎこちなかったが、数日経つうちに二人は打ち解け始めた。そして実の息子同然にハンターを育ててきたウォルトとアンヌは不安に駆り立てられるようになる。トラヴィスの記憶が戻るようになりはじめたある日、5年前に撮った8ミリフィルムを4人揃って眺めていた。幸福そのものだった過去の映像を見て、必死に何かをこらえるトラヴィス。父親らしい服装でハンターを迎えに学校へ行ったトラヴィスはその日の夜、ジェーンがヒューストンの銀行から毎月ハンターのために、わずかながら送金を続けていることをアンヌから聞く。トラヴィスは中古のピックアップトラックを買い、ハンターにジェーンを探しに行くと告げ、それを聞いたハンターは自分も行きたいと言い、そのまま共にヒューストンに旅立った。ヒューストンの銀行からジェーンらしき人物が乗った赤い車が出て行くのを見た二人は車を追い、ある不思議な建物に辿り着く。ハンターを車に残してトラヴィスは建物の中に入ると、そこはキー・ホール・クラブであり、個室は客の側からブースの中の女の姿が見えるマジック・ミラーを設けた覗き部屋になっていた。ジェーンを指名し部屋に入ったトラヴィスに、客の姿が見えないジェーンが話しかけるが、トラヴィスは何も告げずに出て行った。ヒューストンを離れ途中の町で酒を飲みながら、ハンターに自分の母のことを話すトラヴィス。翌日、もう一度ジェーンに会う決心をしたトラヴィスは、ハンターに別れを告げてキー・ホール・クラブへ行く。再びジェーンを呼び、自分の気持ちを語るトラヴィス。やがて、姿を見なくてもそれがトラヴィスであることを知ったジェーンは、涙ながらに自分の気持ちを語った。最後にハンターのいるホテルのルーム・ナンバーを告げ、トラヴィスは去った。ホテルで一人でいるハンターの前にジェーンが現われた。二人が寄りそう影を部屋の窓に確認すると、トラヴィスは車でその場を去っていった。
映画『パリ、テキサス』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)
映画『パリ、テキサス』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む
ライ・クーダーのマジック
若い妻とのすれ違いで家を飛び出した男。テキサスの砂漠を彷徨う中で倒れ、息子を養ってくれている弟に再び合う事が叶い、その息子と共に妻を探しに行くというストーリー。心に抱えた傷によりどうしても妻とは一緒にいられず、息子を妻に託して去って行く結末であるが、ありがちなストーリーがこうもドラマチックに映るのは、大人の中でただ独り際立つ存在である息子のハンターと、ライ・クーダーのスライドギターの音色のマジックである。ヴィム・ベンダースの映画に出演する子役は「都会のアリス」でもそうだったが、妙に大人びているところがあり、旅をする姿が何とも奔放で魅力に溢れているのだ。大人と一緒になって旅をする子供というのはどうしてこうも画になるのかと感心してしまうのだが、言い換えれば三蔵法師に使える孫悟空のようなものなのだろうか。そしてその旅を演出するライ・クーダーのスライドギターが乾いた音色でドラマに深い味わいをもたらす。本作のサウンドトラックは映画を観る前に購入し聴いていたのだが、映像と合わせて聴くとその深さが一層染み渡ってくる。子役のハンター・カーソンとともに、ライ・クーダーのギターが本作を輝かせる大きな要因の一つである。
ナスターシャ・キンスキーの過剰な存在感
主人公トラヴィスの元妻を演じるナスターシャ・キンスキーが余りにも目映い。本作ではどちらかといえば浮いている存在であり、覗き部屋で働きながらもその女優のオーラは失わない。もう少し地味な女優ならバランスが取れていたのかも知れないが、そのセックスシンボル的な過剰な存在感が余りにも際立ちすぎて、ロードムービーには不釣り合いな感じが拭えないのである。ヴィム・ベンダースの映画には子役として「まわり道」に出演しているところから、ドイツ出身の馴染みの女優として起用したのだろうか。片田舎の覗き部屋の向こうにこんな美女がいるワケがないという設定に不自然な必然性を感じてしまうのだが、最後に息子のハンターと出逢うシーンはやはり感動的だ。主人公のトラヴィスが去って行くというエンディングがドラマチックでロードムービーらしい結末ではある。
西部劇が大好きな自分には、本作の舞台のテキサスの荒野がとても好みだった。ロードムービーの中では絶対に外せない作品だ。とにかくアメリカの美しさを体感出来る。そして音楽も印象的でまた聞きたくなる。
切なく悲しい話ではあるが、カンヌでパルムドールを受賞した本作の美しさには鳥肌が立つ。ドイツ人監督であるヴィム・ヴェンダースの視点を通したアメリカを写した傑作をぜひ観て欲しいと思う。(女性 20代)
ヴェンダースの映画としては珍しく一度も寝ずに最後まで観れた。謎めいた導入部から最後まで展開に興味を持ち続けることができた。内容的には「こんなオヤジ嫌だ」な内容だ。このオヤジの行動を批判することはたやすいが、何故彼がそういう行動に出たのかに心を寄せるのがこの作品の味わいどころなのだろう。ラストのマジックミラー越しにかつての夫婦が会話を交わすシーンが秀逸。結末はどこまでもせつないが、そのせつなさがこのロードムービーに極上の余韻を残している。(男性 40代)
映画『パリ、テキサス』 まとめ
一度心が折れた中で過去の想い出が美しく甦ろうとも、現実を考えれば過去の代償が余りにも大きく、取り戻せないのではないかという不安が切なく描かれる。観る側にすれば最後に親子三人が再び元の鞘に収まってしまうと言う筋書きを願うのだが、主人公の抱えた傷は余りにも大きく、妻と息子の感動的な再開を背に二人を残して去る場面が印象的である。家族や兄弟、親子の絆などそれぞれに想いや形は違うだろうが、ここに描かれる深い感動には”家族”というものに対するメッセージは含まれておらず、アメリカという広大な背景の中に人生という捉え所のない旅の姿を準え、情緒的に描いた私小説のようにも思えるのだ。
みんなの感想・レビュー
個人的に心に沁みた映画ベスト3に入る作品。
ちなみに他は「狂い咲きサンダーロード」(笑わないで)ともう一本は未定。
一般的には男と女の愛の話として評論されている映画だけれど、
もちろん、妻への思いをコントロールできなかった男の話ではあるけど
もっと深い部分での自己認証、いわゆるアイデンティティーを保つことができなかった
男の話だと思う。トラヴィスのような男は、ジェーンとなんとかうまくやったとしても
いずれどこかで破綻しただろう。
犯罪者ではないが、世間的にはクズと呼ばれても仕方の無い行動。それでも彼は生き延びるためにはそうせざるを得ないのだ。
アメリカンドリームの国。そして弱肉強食の国。男はマッチョであるべき国で
愛する人と、愛を信じて優しくいたわりあって生きることができなかった。
愛の寛容性を信じることができず、逃げ出すしかなかった。
日々篤実に為すべきことを為し満ち足りた人生を送っている人なら、たぶんトラヴィスに共感することはないだろう。ただ、どんな人のどんな人生でも、ふっと道が無くなったり細く暗い洞穴に迷い込んだりする可能性は常にある。村上春樹の小説ではないが、この世界は闇の世界と重なりあっておりどんなに個人的に努力しようとあっち側にいってしまううことがあるのだ。
アメリカの文学作品や映画にはこのような怖さを描いた作品が多い。
ヴェンダースはドイツ人だけれど、この作品はすぐれてアメリカ的だと思う。
私も投稿者の方々と同じように、弟のウォルト、アンナ夫妻の立場はどうなるのと感じたが、映画全体を通して流れる何とも言えない優しさは、ヴェンダースが敬愛する小津作品と共通する部分を感じとても好感が持てた。それにしてもギターだけであれだけの雰囲気を作った、ライ・クーダーは素晴らしい。
録画を観た後、あー時間の無駄だった!という思いでさっさと消してしまいました。
民族性の違いもあるでしょう。今まで自分の息子を育ててくれた弟夫婦への恩もへったくれもない自己中さ、なぜ放浪していたのか?乞食に成り果てていたのにあっさりと普通に戻ったことにも不自然さを感じた。一体こので映画は何を伝えたかったんだろう?ググってここのレビューを読みました。元妻がナスターシャキンスキーだったことに気づかなかったので、びっくり。もう消しちゃったから観られないけど、親父は所詮ロクデナシ。また放浪するんだろうか?どうでもいい。ごめんなさいねこんな感想で。
ハンターは弟夫婦の所に帰りもとの学校に通う事になると思います。観終わった後、これからどうなるかを考えた時、幾万通りの物語が観た人各々の中に生まれるんだと思いますが、私は現実的にと想像してしまいます。
ジェーンが、どういう選択をするかを考えてみる。息子の近くに移り住む、しばらく義弟家族と一緒に居候する、もしくは…。彼女がどういう人で、どういう行動に移るか考えてるともう1回観たくなる。そしてテキサスのパリ、いつかはそこでまた家族が再会できるストーリーを考えてると眠れなくなる。そういう、あとをひくロードムービーでした。映像と音楽が心地よかった。さあ、リモコンどこいった?
最後がなにか納得いきません。
あの母親はあの子供とこれから先一緒に暮らせるのでしょうか
あと、弟さん夫婦があまりに可哀相に思えます。
4年間大事に育てて、あのままでは納得いきません。