映画『ミニヴァー夫人』の概要:巨匠ウィリアム・ワイラー監督が、従軍する前に撮影したプロパガンダ映画。1939年、ロンドン郊外の村を舞台に、中産階級のミニヴァー一家の様子を描いている。戦争が勃発したことによって、一般市民の暮らしの変化と不安を描く。
映画『ミニヴァー夫人』の作品情報
上映時間:134分
ジャンル:ヒューマンドラマ、戦争
監督:ウィリアム・ワイラー
キャスト:グリア・ガーソン、ウォルター・ピジョン、テレサ・ライト、デイム・メイ・ウィッティ etc
映画『ミニヴァー夫人』の登場人物(キャスト)
- ミニヴァー夫人(グリア・ガースン)
- クレムの妻。ヴィンと幼い次男、長女の母親でもある。どこかふわふわとしているが、とても美しい女性。弁が立ち頑なだったベルドン夫人をも説き伏せる。慈愛に溢れた人物。
- クレム・ミニヴァー(ウォルター・ピジョン)
- 中産階級の建築家。近くの川に個人船着き場を持ち、船を保持している。豪邸で暮らしており、心が広く非常に紳士的。自国の兵士を救出するダンケルクの作戦へも参戦する。
- ヴィンセント・ミニヴァー(リチャード・ネイ)
- クレムと夫人の長男で愛称はヴィン。大学生であったが、英国が宣戦布告した後、空軍へ志願。優秀な成績を残しパイロットとして出撃する。前途ある勇敢で礼儀正しい青年。キャロルと恋仲になり結婚する。
- キャロル・ベルドン(テレサ・ライト)
- ベルドン夫人の孫娘。厳格な祖母に育てられたためか、控えめでありながら非常に聡明。頭の回転が良く、はきはきとした物言いと品位を持つ。
- ベルドン夫人(デイム・メイ・ウィッティ)
- 封建時代の名残を色濃く残した中産階級の老齢な女性。厳格で強権的。倹約をモットーとしており、現代の中産階級を良く思っていない。薔薇の品評会で優勝するのが趣味のようになっている。
映画『ミニヴァー夫人』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『ミニヴァー夫人』のあらすじ【起】
1939年、夏のロンドン。建築家クレム・ミニヴァーの妻ミニヴァー夫人は、中産階級に属し裕福で優雅な生活を送っている。ミニヴァー一家は、ロンドンの郊外に住んでおり、大学生の長男ヴィンセント、愛称ヴィンと幼い息子、娘の5人家族。現在、ヴィンは大学へ通うため、家を離れていた。
ロンドンからの帰り、ミニヴァー夫人は顔見知りの駅長から薔薇の品種改良に成功したことを知らされ、見せてもらう。美しいと評判のミニヴァー夫人の名前を薔薇に付けたいと言うため、夫人は快く了承した。
翌日、ヴィンが夏休みで帰省。お茶の時間、同じ中産階級のベルドン夫人の孫娘、キャロル・ベルドンがミニヴァー夫人を訪ねて来る。キャロル曰く、薔薇の品評会に例の駅長があの薔薇を出品するらしい。毎年、品評会での優勝は夫人のものだったが、駅長の薔薇は非常に美しく今年の品評会に出品したら、間違いなく優勝してしまう。ベルドン夫人は品評会の優勝を生きがいとしているため、孫娘は祖母を思い駅長の出品を諦めさせて欲しいとミニヴァー夫人へ頼み込むのだった。
ところが、ヴィンがそれへ反論し、ベルドン夫人こそ封建時代の名残が色濃いと批判。すると、キャロルは長男へ口先だけで何もできない男だと言い返してしまう。ヴィンは言い返せないことで不機嫌になり、その場から退席してしまうのだった。
その日の夜、ベルドン家でダンスパーティーが開催される。ミニヴァー夫婦も招かれ、キャロルと再会。彼女はヴィンに好意を抱いたらしく、パーティーに来てないことに肩を落としたが、どうやらヴィンの方もキャロルに好意を抱いていたようで遅れてパーティーに参加。2人は互いに謝罪し、仲直りをした。
映画『ミニヴァー夫人』のあらすじ【承】
一月後、日曜の教会のミサへ参加したベルドン家とミニヴァー家。司祭から英国が宣戦布告したと聞かされる。このことにより、穏やかで平和な時は終わりを告げた。
英国が宣戦布告をしてから8か月。ドイツ軍の攻撃にフランスが敗北し、英国も危機感を募らせる。国民は動揺を隠せず、大工場では暴動が勃発した。そんな中、ドイツ軍の爆撃機が墜落しパイロットが行方不明であることから、近隣では捜索隊が出動。クレムもまた、捜索隊の一員として名を連ねていた。
休憩を兼ねてバーへ立ち寄った際、空軍へ志願したヴィンが顔を見せる。近くの空軍基地へ配属されたと言う。しかもすでに少尉という官位まで得ていた。どうやら戦況が思わしくなく、緊急で訓練が短縮された様子。訓練にて高得点を得たため、一週間の休暇が出たと言うのだった。
自宅へ戻りキャロルを交えて家族と対面したヴィン。一週間の休暇が終わったら、いよいよ出撃となる。夕食時、ヴィンは家族の前でキャロルにプロポーズ。彼女は感激し二つ返事で了承したが、基地からヴィンへ直ちに戻れという連絡が入る。ミニヴァー夫人は婚約者を得た息子を笑顔で送り出したが、内心は不安でいっぱいだった。
深夜、自宅の上を爆撃機が通過。エンジン音にて長男が出撃したことが分かる。夫婦は飛び起きて爆撃機を見送り、息子の無事を祈った。それから数時間後、クレムに緊急集合の連絡が入る。10メートル以上の船を集め、船員を急いで出立させろと命令される。詳しい説明はなかった。
川を遡る船が何百隻と集まる中、英国遠征隊の大船が現れる。これより、ダンケルクの海岸に追い詰められた40万の兵士を救出すると言う。参戦は任意で強制ではなかったが、誰一人抜ける者はいなかった。
映画『ミニヴァー夫人』のあらすじ【転】
あれから、5日経っても夫と長男が戻らない。ミニヴァー夫人は安否が気になって気もそぞろであったが、川に来た折、駅長から薔薇の展示会に来て欲しいと誘われる。返事をして別れた後、振り返った彼女は茂みの中に倒れている敵兵を発見。恐らく、墜落したドイツ軍のパイロットだと思われる。意識を取り戻した兵士と目が合ってしまい、急いで自宅へ逃げ帰ったが、追いつかれてしまう。
夫人は怯えつつも、兵士に乞われるまま食料と飲み物を与えた。冷静さを取り戻したミニヴァー夫人は彼に夫のコートを渡したが、兵士は右腕を負傷しており、ふらつきながら意識を失ってしまう。そこで、夫人は兵士から銃を奪い、すぐさま警察を呼んだ。
兵士はすぐに意識を取り戻したが、強い思想に囚われ村を焼き尽くしてやると毒を吐いて警察に連れられて行った。
ミニヴァー夫人は幼い息子を胸に抱き、戦争で命を落とす人々や家族のことで胸を痛めた。そのすぐ後、近くの個人船着き場から船の音が聞こえてくる。夫が帰って来たのだ。夫人と子供達は無事に帰還したクレムを迎え入れ休ませた。
夫が横になった後、爆撃機のエンジン音が聞こえる。耳を澄ませたミニヴァー夫人は、家族への合図であるエンジン音を聞き、ヴィンもまた無事に帰還したことを知り、安堵に深い笑みを見せるのだった。
起床したクレムと敵兵と遭遇した件について言い合いをしていたミニヴァー夫人。その最中にベルドン夫人が訪ねて来る。どうやら、ヴィンとキャロルの結婚について異議申し立てするためにやって来たらしい。ミニヴァー夫人は結婚に反対しているベルドン夫人をあの手この手で説き伏せ、了承させることに成功した。
映画『ミニヴァー夫人』の結末・ラスト(ネタバレ)
いよいよ戦火が近付いて来たため、一家は家の近くに防空壕を作り避難。夜間にも関わらず、遠目にも街が集中砲火に晒されている様子が見える。夫婦は戦火の中でも何気ない会話を心掛け、心穏やかに過ごすことに努めた。やがて、爆撃や爆発音、爆撃機の音が近付いてくる。被弾で地面が揺れ始め、外では悲鳴や怒号が飛び交う。夫婦は子供達を胸に抱き身を潜ませた。
ヴィンとキャロルが無事に結婚。短いハネムーンから帰って来た。若い夫婦と帰宅したものの、家は戦火に晒されて半壊していた。それでも、家族は誰一人欠けることなく生きている。
その日は薔薇の展示会が開催。戦時下であるからこそ、こういったイベントには大勢の人々が訪れた。ベルドン夫人は執事に結果を急がせ目にしたが、自分の薔薇が優勝し、駅長の薔薇が次席であったことにどこか釈然としていない。
ベルドン夫人は優勝するのが生きがいであったが、ミニヴァー夫人との関わりや孫娘の結婚で少し変わった様子。彼女は結果発表の折、自分の薔薇と駅長の薔薇を再度見比べ、決定を覆した。そこへ、敵機が近くにまで及んでいるという知らせが入る。
やがて、警報が発令しヴィンはすぐさま基地へと戻って出撃。ミニヴァー夫人とキャロルはその姿を見送った。
その帰り、上空を爆撃機が交戦。ミニヴァー夫人とキャロルは車を停車させ状況を窺ったが、すぐ近くに爆撃機が墜落。更に停車している車を狙って銃撃され、運悪くキャロルが流れ弾に当たってしまう。ミニヴァー夫人は急いで帰宅し医者を呼ぼうとしたが、村も火の海で重傷者が続出中。ひとまず連絡はしたものの、キャロルはそのまま息を引き取ってしまう。
ヴィンはキャロルの死を聞いても取り乱すことはなかったが、深い悲しみに陥っているのは傍目にも分かる。ベルドン夫人もミニヴァー一家も、キャロルの死には酷く胸を痛めた。この度の交戦により、死傷者は多く誰もが悲しみに打ちひしがれている。戦争は兵士だけのものではなく、国民全員のものである。教会にて司祭の説教を聞いたヴィンは、一人で立つベルドン夫人の元へ寄り添い共に聖歌を唄うのだった。
映画『ミニヴァー夫人』の感想・評価・レビュー
アカデミー賞6部門受賞作品。1942年制作、白黒のアメリカ映画ではあるが、非常に良くできた脚本と演出であると思われる。受賞するのも頷ける。プロパガンダ映画に分類される作品で一般人に注目を当て、戦争による生活の変化と不安を描いている。
監督曰く、今作で描かれる戦争は非常に甘い演出であるらしい。近年になってリアルを追求した作品が増え、戦争がいかに悲惨なものであるかが描かれるようになったが、当時はまだそこまで描く技術も社会性も整っていなかったのだろう。ラストシーンで司祭が演説する言葉に全てが集約され、この言葉を聞かせるためにストーリーがあったのではないかと思わせる。(MIHOシネマ編集部)
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