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映画『ルック・オブ・サイレンス』のネタバレあらすじ結末と感想

映画『ルック・オブ・サイレンス』の概要:1965年にインドネシアで起こった大量虐殺の被害者側である人物が、自らの仕事を使って当時の加害者たちに接触を図る。今もなお当時の政治情勢が幅をきかせる中、危険を顧みず加害者にインタビュー形式で話を聞いていく主人公。そこで語られる言葉を彼はどう受け止めるのか?

映画『ルック・オブ・サイレンス』の作品情報

ルック・オブ・サイレンス

製作年:2014年
上映時間:103分
ジャンル:ドキュメンタリー、歴史
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
キャスト:アディ・ルクン etc

映画『ルック・オブ・サイレンス』の登場人物(キャスト)

アディ・ルクン
インドネシアに家族と共に暮らす眼鏡技師。検眼を理由に大量虐殺の加害者たちを尋ね、当時の状況を詳しく聞き出す。兄が虐殺の被害者。
ジョシュア・オッペンハイマー
アメリカ人であり、この映画の監督・製作者。劇中姿を現すことはないが、インドネシアでの大量虐殺という同じテーマを扱った前作の『アクト・オブ・キリング』ではインタビュアーを務めた。

映画『ルック・オブ・サイレンス』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)

映画『ルック・オブ・サイレンス』のストーリー(あらすじ)を結末・ラストまでわかりやすく簡単に解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『ルック・オブ・サイレンス』のあらすじ【起】

1965年のインドネシア。当時の社会情勢は大きく揺れ動いていた。スカルノ元大統領が国を治めていたのだが、徐々に共産主義寄りになっていった大統領に軍が反旗を翻す。当時のトップ6人であった将軍たちが次々に殺害されたのだ。そして、7番目の将軍だったスハルトという人物が政権を握る。彼らは民主主義の国に生まれ変わるという目的のもと、多くの民衆を共産主義であるとみなし、100万人が犠牲になったと言われる大量虐殺に突き進んでいく。

現代。アディという人物が眼鏡技師を生業として暮らしていた。彼には年老いた父と母、そして妻と二人の子供がいる。ある日、彼の息子が学校の授業で「共産主義の人々は英雄たる軍によって処分された」と教えられる。教師もその事実を「誇るべきもの」と捉えているのだ。さらに、彼らのクラスにいるのは皆、共産主義だと言われる人々の子供だった。教師は彼らに「共産主義の子供たちはまともな職に就けない。公務員にもなれない」と話す。学校から戻った彼は、父のアディに「共産主義の人は悪者で、死んでもいい人たちなの?」と質問する。それを複雑な表情で受け止め、アディは「その教えは間違っている。共産主義だと言われた人たちの多くはそうではなく、普通の人たちだった」と答えた。

アディたちが住む村には眼鏡屋がなく、眼鏡技師である彼は行商のような形で村人を訪ねて検眼を行っていた。彼は、それを自らの目的に利用した。ある日、一人の老人を訪ねた。
アディは検眼に使うレンズ入りの丸眼鏡を彼にかけさせ、「これは見える?これはどう?」と通常の仕事を行う。そしてその流れの中、「1965年の虐殺の時は何をしていたの?」と尋ねた。相手はもう80代くらいになる老人なのだが、質問された男はあっさりと自らが虐殺に関わっていたことを認めた。見ようによっては自慢でもするような態度で当時の様子を話す老人だったが、アディの質問が細部に亘ってくると彼を怪しみ、「政治的な話はしたくない」と態度を固くした。

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映画『ルック・オブ・サイレンス』のあらすじ【承】

アディは実家に赴く。そこには年老いた母と病気の父が暮らしており、母が父の世話をしながら日々を過ごしていた。母もインタビューに答えるのだが、一家には暗い過去があった。1965年の大量虐殺により、アディの兄にあたるラムリという息子を亡くしていたのだ。当時青年だったラムリは、身に覚えのない「共産主義」というレッテルを貼られ、軍に命じられた村人たちにより強制的に連行されてしまった。連れて行かれる途中、腹部を刺されながらも隙を見て逃げ出し一度は家に帰るのだが、連れ戻しに来た者たちにより再び連行されてしまう。そして、村人たちが「ヘビ川」と呼ばれる処刑場で酷いやり方で殺されたのだ。

アディにとってラムリは兄だが、アディが生まれた時すでに兄は亡くなっていた。ラムリの死の2年後にアディは生まれた。彼が生まれていなければ私の人生は終わっていた、と母は語る。ラムリが死んだ後、精神的なショックにより父親の歯は抜け落ち、両親は絶望的な状況に置かれていたのだ。そして、現在父はほぼ寝たきりの生活だが、アディたち家族の関係は悪いものではない。アディは両親を思いやり、すでに100歳を超えている父はたまに冗談を言い家族に笑顔をもたらしている。アディには前述の息子の他に可愛い娘もおり、家族と過ごしている時のアディはとても穏やかな表情を見せている。

しかし、自分が生まれる前の出来事であったとしても、兄の巻き込まれた事件はアディに大きな影響を与えていた。だからこそ彼は『アクト・オブ・キリング』という作品で虐殺の加害者側に大胆なインタビューを行ったジョシュア・オッペンハイマーという人物にコンタクトを取ったのだ。「兄を殺した加害者たちに会って話したい」、という思いが彼を動かしていた。

映画『ルック・オブ・サイレンス』のあらすじ【転】

驚くべきことに、手を下した者たちもアディたちと同じ村に住む知り合いだった。しかも、彼らの多くがその後議長などの要職に就き金持ちになっていた。よって、アディが検眼を理由に彼らを訪ねる時、その家は大体アディのものより立派で、彼らの態度はしばしば傲慢だった。

ある日、アディは二人の老人と共にヘビ川の近くを歩いていた。彼らは大量虐殺の時の加害者で、兄のラムリに実際に手を下した者たちだった。アディは身元を明かすことなく彼らから当時の状況を聞き出していく。自らのやったことを「罪」とは思っていない彼らは、詳細な質問をしてくるアディに対して得意げな様子で自分たちの残忍な行動を話した。ラムリはこうやって逃げたから俺たちはこんな風にあいつを殺したんだ、そして川に投げたんだ… 二人はさらに、当時の自分たちと被害者たちの状況を演技を交えて再現した。しかし一瞬、二人は真顔になる。「ラムリはいい奴だったかもしれない。だけどそんなことは関係ないんだ。軍に言われたらやるしかないんだ」と話す。彼らの話によると、虐殺を行う時は大体首謀者である軍関係者は後ろに隠れていたという。だけど、背後に軍がいることなんてみんな知っていた、とも話す。

アディは自らが聞き役となってインタビュー映像を撮りため、時に自室でそのビデオを一人見返していた。その時の彼の表情は悲しみにも怒りにも当てはまらない。ほとんど無表情で、目の前の人物が自分の兄をはじめ被害者たちをどうやって殺したかを語る姿を見つめていた。

別の日、アディはヘビ川での虐殺から運良く逃れた人物と会っていた。自分が今加害者に会っていることを打ち明けると、彼は「そんなことはやめろ」とアディを止める。あれはもう過去のことで、俺もみんなも忘れたいんだと。自分自身が被害者であるはずなのにそんなことを言う彼にアディは戸惑うが、彼の言うことが理解できないわけではない。この国では、1965年に大量虐殺を主導した関係者がずっと政権を握っているのだ。今さら当時の状況を掘り返して面倒なことに巻き込まれたくない、という心情は仕方がない部分もある。

また別の日、アディは村議会の議長宅を訪ねた。そこの主人もすでに高齢になっていたが、眼鏡技師としてやってきたアディに尋ねられるまま自らの虐殺体験を語る。そして、ついにアディは「僕の兄はあなたの命令によって殺されたんです」と告げた。その時、老人の顔に明らかな動揺が走った。「俺は命令していない、君の兄はどこに住んでいた?」と尋ねられ、「あなたと同じ地域です」と静かに返すアディ。ますます狼狽しアディの身元を確かめようとする老人だったが、それはしたくないとアディは答えを拒否する。これまで自分たちの行動を正当化するばかりだった加害者側の人物に、初めてそれ以外の表情が見えた。

映画『ルック・オブ・サイレンス』の結末・ラスト(ネタバレ)

アディは母の元を訪れ、今自分がやっていることを告白した。母親は驚き、まさかラムリの弟だと話していないだろうね、と問い質す。住所など身元がわかることは話していないが、ラムリは自分の兄だと言った、と答える息子に母は不安を覚える。彼女はアディが小さい頃からずっと兄が受けた仕打ちについて話し、加害者たちに対して憤りを覚えていたが、いざアディが彼らにインタビューを行っていると知ると必死で止めるのだった。ラムリの事件の後も加害者である村人たちと近所に暮らし、深い悲しみの中でも事を荒立ててこなかった。やはり、今の生活が完全に崩壊してしまうことを恐れていたのだ。

母に止められ、アディは妻にも同じことを告げる。妻も当然ながら動揺し、子供たちに何かあったらどうするのかと夫を説得しようとする。それほどまでに、現政権を敵に回すというのは危険なことであった。

しかし、アディは行動をやめない。当時刑務所で看守として働いていた叔父のもとを訪ねた。彼はアディの母の弟で、しばらく交流がなかったようだが久しぶりの甥の来訪を歓迎した。だが、アディの話がラムリが殺害された事件に及ぶと途端に狼狽した。叔父さんは看守だったのに、どうにかして兄が連行されるのを止められなかったの?と問い詰めるアディに対し、それは不可能だった、仕方なかったんだと言う。詳しく聞くと、止めなかっただけではなく兄が連行されたのは彼にも一因があるようだった。アディは落胆し、聞いたことを母に告げに行く。母は驚き、そんなことは初耳だと言う。だが、「きっと軍に命じられて仕方なかったんだ」と話す。異常な状況に正面から疑問をぶつけるアディは、孤独感を覚えていく。

それでもあきらめず、アディは次の家へ向かった。そこには年老いた父親と娘が暮らしていて、「当時何をしていたんですか?」と老人に聞くアディに対し、「共産主義者の首を中国人の店に投げ入れてやったよ」と自慢げに答えるのだった。そこまでは過去の大変な思い出話として苦笑しながら聞いていた娘だったが、「兄はあなたに殺されたんです」と静かに告げるアディを見て表情が固まる。老人は激しく狼狽し、自分ではない、覚えていない、と言い訳を並べた。たまらず娘も「父がそんなことをしていたなんて今初めて知ったの、父は認知症を患っているしもう許してあげて」と懇願する。アディは、あなたを責めたいわけではないと話す。ただ知りたいだけなんだ、と。そんな彼に対し、娘は「どうか彼を許して、そしてまた遊びに来て。私たちは今日から家族よ」と話し、別れ際には抱擁も交わす。しかし、父親の方は終始こわばった表情のままだった。

そして、別のある家で、アディはあるビデオを集まった人々に見せる。それは以前話を聞いた老人たちの映像で、その家にいたのは彼らの家族だった。「本当は彼らに直接会って話したかった、だけどもう亡くなったと聞いてここに来ました」と話すアディ。映像の中で、老人たちはかつての自分たちの「英雄譚」を得意げに話していた。彼らは当時の状況を本にして出版もしていたらしい。その本を手に、どんな風に共産主義者たちを殺したか笑顔で話していた。そして、集まった家族は目の前にいるアディという男が被害者の弟だと知って衝撃を受ける。それまでは友好的だった男たちも、こんな映像もうやめてくれ、何のために来たんだ!と怒りを見せる。報復なのか?と聞く家族に、アディは報復がしたいんじゃないんだと答える。ただ話を聞きたかったんだ、と表情のない顔で話すアディに、憤慨していた男たちも静まり返り、その沈黙の中ドキュメンタリーは幕を閉じる。

映画『ルック・オブ・サイレンス』の感想・評価・レビュー

この映画のテーマである大虐殺が起こったのは1965年だが、インドネシアでは未だ過去の話ではない。ほとんどの人にとって「過去にしたい」話ではあるかもしれないが、現在のインドネシア政権はその大虐殺で「英雄」になった人々が握っているのだ。あの美しいバリ島を擁するインドネシアにそんな歴史があったこと、そしてそれは今も続いていることに衝撃を受けた。しかし、このドキュメンタリーを通してアディと監督が伝えてくれるのは、これはインドネシアに限った話ではない、ということだ。加害者とされる人たちは元は皆と同じ村人で、だが権力を持つ軍の命令によって越えてはいけない一線を越えてしまった。そのことに心の奥底では罪悪感を持ちながらも、あくまで自分たちの責任ではないと強弁する彼らを見て、自分は絶対にああはならないと言える人は少ないのではないだろうか?(MIHOシネマ編集部)

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