「劇場版 BEM BECOME HUMAN」のあらすじ・感想・評判・口コミ(ネタバレなし)

初期の日本アニメ界を支えた作品の一つ、妖怪人間ベム。そんな妖怪人間ベムが2019年に再度アニメ化され大きな反響を呼んだ。豪華キャストを起用した同作は大人気となり、このたび劇場版アニメーションの製作が決定。

劇場版 BEM BECOME HUMANの作品情報

劇場版 BEM BECOME HUMAN

タイトル
劇場版 BEM BECOME HUMAN
原題
なし
製作年
2020年
日本公開日
2020年10月2日(金)
上映時間
不明
ジャンル
アニメ
サスペンス
監督
博史池畠
脚本
冨岡淳広
製作
不明
製作総指揮
不明
キャスト
小西克幸
M・A・O
小野賢章
内田真礼
乃村健次
諏訪部順一
高木渉
伊藤静
製作国
日本
配給
クロックワークス

劇場版 BEM BECOME HUMANの作品概要

妖怪人間ベムは、元々1968年に放送されていたアニメ。そして、なんとその妖怪人間ベムが、第一弾アニメから約50年もの時を経て再度アニメ化されたのである。それが、2019年に放映された『BEM』。基本設定はオリジナルのものを引き継ぎながらも、より現代に適応できるように改変が加えられた本作。元が60年台のアニメとは思えないそのスタイリッシュな作風が受け、劇場版の製作が決定した。初期の日本アニメ界を支えてきた名シリーズ。少しでもアニメファンであると自称するならば、一度は踏み込まなければいけない世界である。

劇場版 BEM BECOME HUMANの予告動画

劇場版 BEM BECOME HUMANの登場人物(キャスト)

ベム(小西克幸)
妖怪人間のリーダー的存在。リブラシティでの激闘後、姿を消していたが思わぬ形で再び姿を見せる。
ベルム(小西克幸)
ベムと瓜二つの人間。ドラコ・ケミカル社で働き、妻と二人の子供に恵まれている。
ベラ(M・A・O)
妖怪人間の紅一点。現在はコーヒーショップで人間のフリをして働いている。戦いはせず、平穏な日々を望んでいる。
ベロ(小野賢章)
クールな妖怪人間。ベムに代わり、人助けを続けている。2年前よりも能力が向上している。
ソニア・サマーズ(内田真礼)
リブラシティでの事件を通じて、妖怪人間が善の存在であることを知っている刑事。行方をくらました彼らを探し続けている。
ロレンツォ・ネポムセーノ・ドラコ(高木渉)
ドラコ・ケミカルの社長。何かと黒い噂のある腹黒い人物。

劇場版 BEM BECOME HUMANのあらすじ(ネタバレなし)

リブラシティを震撼させたあの事件から、2年の時が経過した。その事件以降、姿を消したベム達妖怪人間。そんな彼らの行方を探し続ける存在がいた。それは、ソニアという刑事。ある時、ソニアのもとにとある目撃情報が入る。彼らの姿を、製薬会社、ドラコ・ケミカルで見たというのだ。そして、その場所で彼は妖怪人間を見つける。しかし、そこにいたのはベロとベラ、そして、ベムと瓜二つの姿をしたベルムという人物だった。ドラコ・ケミカルで働く会社員であるベルム。しかし、ソニアと出会ったことでベルムは日々悪夢に苛まれることになる。彼は一体何者なのか。そして、とうとう明かされる妖怪人間誕生の秘密。果たして、彼らの人間になりたいという願いは果たされるのか。

劇場版 BEM BECOME HUMANの感想・評価

名作の持つ力

前述したように、最新作の原作である『妖怪人間ベム』は、1968年に製作された作品。つまり、公開当初からこの作品の公開までに、約50年の時が経過しているのである。普通、これだけ製作期間が開いていると、作風やストーリー展開が古臭いと、現代の若者から敬遠されてもおかしくはない。しかし、最新作は多少現代向けにアレンジされているとはいえ、若者から高い支持を受けているのだ。長年愛され続ける何かが、その作品には存在するのだ。逆にその何かが存在する作品こそ、名作として世に語り継がれてくる作品であると言える。古い作品だから、と一度も見ずに敬遠するのはあまりにもったいない。ぜひ、名作が持つ力を映画館で実際に確かめてみよう。

果たして彼らは人間になれるのか

妖怪人間ベムシリーズを見たことがあるだろうか。古い作品であるため、名前は知っていても詳しい内容は知らないという若者も多いかもしれない。主人公であるベム達は、実は人間ではなく、タイトルからも分かるように人間になれなかった人造生物、妖怪人間という存在そして、彼らにはとある野望がある。それこそが、『人間になりたい』という希望。しかし、初めてのアニメが公開されてから約50年、彼らのその野望は果たされていないのである。そして、本作では彼らのそんな悲願とも呼べるその執念に答えが出るという。これまで人間になるために、誰よりも人間らしく振る舞い、多くの人間を救ってきたベム達。果たして彼らの長年に渡る想いは、彼らの望む形で結末を迎えるのだろうか。

オリジナルの妖怪人間

実は、原作における妖怪人間はベム、ベロ、ベラの三人だけだった。彼らは人間になりたいという夢のため、共に慈善活動に勤しんでいた。しかし、実は2019年版のBEMには、この三人以外の妖怪人間が多く登場する。本作における妖怪人間は、人体実験や事故などによって特殊な能力を得たり、体質が変化した存在といった位置づけ。そして、妖怪人間全員が善人というわけではない。その力を使って悪事を働く妖怪人間達を、本作ではヴィランと位置付けている。いくらベム達が事前活動を行っても、こういったヴィランがいるから妖怪人間への厳しい目は中々無くならないのだ。しかし、強大な敵がいるからこそ物語が盛り上がるのもまた一体どんな能力を持つ妖怪人間が登場するのか、注目が集まる。

劇場版 BEM BECOME HUMANの公開前に見ておきたい映画

映画『劇場版 BEM BECOME HUMAN』の公開前に見ておきたい映画をピックアップして解説しています。『劇場版 BEM BECOME HUMAN』をより楽しむために、事前に見ておくことをおすすめします。

妖怪人間ベラ

公開当初から50年もの時が経過している、歴史のある妖怪人間ベムシリーズは、これまで数多くのメディア化がなされてきた。しかし、その長い歴史の中でも、妖怪人間ベムに関連する実写映画は本作一本しかない。そして、本作の主人公は正確にはこれまでのシリーズの主人公、ベムらとは異なる。タイトルからも分かるように、ベラは登場するが、あくまでも主人公は新田康介というサラリーマン。物語は、彼がとある廃墟で、妖怪人間ベムの幻の最終話を見つけてしまうところから始まる。そして、とある少女が彼らの前に姿を表す。その少女こそ、妖怪人間ベムに登場するキャラクター、ベラだったのだ。最終話を見て以降、すっかりベラに執着を見せるようになった康介は徐々に狂気的な行動を取るようになり…?

詳細 妖怪人間ベラ

SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁

実写映画とアニメ、海外と日本の作品とジャンル自体は全く異なるものの、この二つには大きな共通点がある。それは、かなり昔の作品でありながら、長年人々から愛され続けているという点。さらには、現代風にアレンジがされており、そのアレンジが大成功を収めたという点も共通している。本作のオリジナルは、言うまでもなく超有名ミステリー小説である、シャーロック・ホームズシリーズ。シャーロック・ホームズが初めてこの世に出たのは、なんと1887年だという。それから現代に至るまで、長年愛され続けているのだから驚異的な話である。その中でも、本作はイギリスで放送されているドラマ、SHERLOCKの映画版。このシリーズの特徴は、シャーロック達が現代に生きているという設定のシリーズ。オリジナルとのシャーロックとの違いを楽しみながら、シャーロキアン達による渾身の一作を見届けよう。

詳細 SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊

最新作のアニメーション制作を手掛けているのが、Production I.G.。そして、このProduction I.G.の代表作として知られるのが、攻殻機動隊シリーズ。攻殻機動隊と言えば、当時最先端の技術を駆使したスタイリッシュな演出と、哲学的なストーリーが世界中で受け入れられている。さらには魅力的なキャラクター達も人気の一因。そんな攻殻機動隊人気の火付け役になったと言われているのが本作。本作の監督を担当したのは、なんと『サマーウォーズ』なども手掛けたあの押井守。劇場公開当時は観客動員数12万人と芳しくない成績を残した本作。しかし、その後アメリカのビルボード誌で取り上げられ絶賛された後、日本でも評価されるようになったという経緯を持つ。世界に受け入れられている攻殻機動隊シリーズを手がけるプロダクションが制作するのだから、その完成度の高さは保障されたようなもの。

詳細 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊

劇場版 BEM BECOME HUMANの評判・口コミ・レビュー

随時更新予定

劇場版 BEM BECOME HUMANのまとめ

妖怪人間ベムは、タイトルからも分かるように人間ではなく妖怪人間が主役。そんな彼らが掲げる夢が『人間になること』。彼らは、その夢のために誰よりも人間らしく振る舞い、弱気を助けてきた。しかし、人間以上の行いをしている彼らは、既に人間と呼べるのではないだろうか。または、無理に人間という枠組みに入れずとも、妖怪人間という種族が認められたと良いのではないだろうか。同じ妖怪人間にもそれぞれ個性があり、それも人間と同様。果たして、人間という定義は一体どこにあるのだろう。その立ち振る舞いではなく姿形に所以するのだろうか。そういった哲学的なことも考えてしまう一作。

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