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映画『教誨師』のネタバレあらすじ結末と感想

映画『教誨師』の概要:死刑囚の心の安寧を宗教的に教え導く教誨師。刑の執行にまで立ち会うその仕事は、ほとんどボランティアで過酷なものだった。2か月前、教誨師となった主人公はプロテスタントの牧師であったが、様々な死刑囚と対話することで、救済とは何かを考えさせられる。

映画『教誨師』の作品情報

教誨師

製作年:2018年
上映時間:114分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:佐向大
キャスト:大杉漣、玉置玲央、烏丸せつこ、五頭岳夫 etc

映画『教誨師』の登場人物(キャスト)

佐伯保(大杉蓮)
プロテスタントの牧師で2か月前、教誨師となったばかり。常に穏やかでキリスト教の教えで死刑囚を導こうとするが、次第に救済とは何かを考え始める。
吉田睦夫(光石研)
酒が大好きで明るく、人見知りをしない。キリスト教の教えを受け入れ、佐伯にも親切にしてくれるが、刑務官に対しては非常に威圧的。元やくざの組長。
野口今日子(烏丸せつこ)
関西弁を話す中年女性で、自らの罪を認めずにいる。橋本という刑務官とのやり取りをしきりに話すが、刑務官に橋本という人物はいない。
高宮真司(玉置玲央)
統合失調症を患っており、世間を恨んでいる。非常に博識で頭の回転が早く、周囲を見下している。社会の改善をするために大量殺人を犯すも、打撃を与えることができなかったことで、虚しい思いを抱えている。
鈴木貴裕(古館寛治)
面会を望んだ割に一切の対話をせず、延々黙ってばかりいる。実はストーカーで被害者を自ら殺害している。被害者の亡霊を目にしたことで、許しを得る。

映画『教誨師』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)

映画『教誨師』のストーリー(あらすじ)を結末・ラストまでわかりやすく簡単に解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『教誨師』のあらすじ【起】

日本の死刑確定者は刑務所ではなく、拘置所内の独房で生活をする。懲役囚とは異なり、原則的に髪型や服装は自由で就労の義務もない。面会は親族などの他、心情の安定に資すると認められる者に限られていた。

牧師の佐伯保は2か月前に、教誨師として活動を始めたばかり。教誨師とは死刑囚と唯一面会できる民間人で、主に僧侶や牧師などの宗教家がほぼ無報酬でその役割を担う。面会を望む死刑囚と対話し時に悔悟を促し、教え導くのだ。更に教誨師は面接を続けた死刑囚の刑の執行にも立ち会うという、過酷な仕事でもあった。

世間話はもちろんのこと、基本的にはキリスト教の教えを説くのだが、相手によっては愚痴を聞き続けたりする。心理カウンセラーのような役どころも担っており、佐伯が担当する死刑囚は男女含め、性格も様々だった。

鈴木貴裕は教誨師の面会を望んだ割に、佐伯とは一切の対話をせず、全てを諦めたかのように口を閉ざし続ける。
吉田睦夫は元やくざの組長だが、非常に明るく酒飲みで、最後に酒が飲みたいと笑みを見せる。
野口今日子は独房での愚痴をこぼしては、まるで死刑囚とは思えない快活さを見せ、大量殺人を犯した高宮真司は世間に対し深い恨みを抱き、佐伯にすらも毒を吐くのだった。

佐伯はひたすら感情をフラットにして、相手の言葉を否定することなく暖かく受け止め、穏やかに会話を続ける。相手を尊重し、許される限り死刑囚の心へ寄り添いキリスト教の教えを説き、安らかな死を迎えられるよう導くのだ。

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映画『教誨師』のあらすじ【承】

月に2回と定められている教誨の時間。何度目かの面会にて、佐伯は罪の意識を飽くまで他人に転嫁しようとする野口を、悔い改めさせようとして怒らせてしまう。
そして、吉田からは話の流れで明るみに出ていない罪を明かされ、戸惑いを隠せない。だが、秘密を明かしたことによって吉田はすっきりしたと笑うのである。

高宮は何度面会しても相変わらずで、話題は日本に限らず外国の経済までも罵り始める。鈴木もまた相変わらず黙ったままで、仕方ないので佐伯は神父になる経緯を語るのだった。それでも彼の話を拒絶せず、聞き入る態度を見せる鈴木。彼は佐伯の話を聞き終えると涙を流し、やがて号泣するのである。

博識で達観し他人を見下すばかりの高宮。彼はまるで悪魔のように毒を吐き続け、佐伯の言葉すらも否定し受け入れようとしない。高宮は崇高な目的を掲げて人殺しをしたらしいが、頭の悪い人を殺して何が悪いのかと言う。頭が良く理詰めで逃げ場を埋めてくる彼の言葉はまっすぐで、精神的にも佐伯を追い詰めるのだった。

そんなある日、吉田の拳に包帯が巻かれているのを目にした佐伯。人当たりが良く見えても裏を返せば、彼とて元やくざの組長である。教誨師に対して暴力を振るうことはないが、時に恐怖を煽るような仕草をされるとどきりとしてしまうのだった。

前回の教誨時、号泣した鈴木。彼はとうとう口を開き、自分など死刑になって当然だと語った。対話を続ける中で、どうやら鈴木はストーカーだったらしく未だに被害者への妄想に囚われている様子。だがその時、一瞬だけ停電が発生。鈴木は被害者女性の亡霊を目にし、唖然としてしまうのだった。

映画『教誨師』のあらすじ【転】

高宮との面会に気が重くなり始める佐伯。頭が良い分、扱いが非常に難しく少しでも間違えようものならひたすら突っ込まれるに違いない。高宮のことだけに次からは恐らく、佐伯も見下され対話の機会を失うだろう。
そこで、佐伯は服役中に自殺してしまった兄のことを明かすことにした。だが、高宮はその話ですら一笑に伏してしまうのだった。

佐伯兄弟の母は父と離婚後、別の男と一緒になり腹違いの息子を儲けていた。元はと言えば母が逃げ出したのは、佐伯の父のせいであったが、幼い頃に母と別れた兄弟にとって腹違いの弟と相手の男は、恨むべき相手だった。故に川原で遭遇してしまった際、兄の制止を聞かずに突っかかってしまった佐伯のせいで、兄が相手の男を川原の石で殴り殺してしまったのだ。そうして、刑務所に入ることになってしまった佐伯の兄は深い罪悪感を抱き、じきに刑期を終えるというその時、自殺してしまったのだった。

佐伯は自分のせいで罪を抱えてしまった兄を思い、ひたすらに後悔の念を抱いていた。だが、教誨師として活動するのは、罪滅ぼしのつもりかと高宮に指摘され、自分が今まで歩んできた人生を思わず振り返ってしまう。

怒らせてしまった野口とようやく面会が叶った。ところが、野口は精神的に不安定で言動にも一貫性が見られず。ころころと会話や表情が変わり浮き沈みが激しい。佐伯が戸惑っている間に野口は1人で勝手に激情し、面会室を出て行ってしまった。

そんな時、死刑の執行が決定したと告げられる。死刑執行に付き添うのは初めてである佐伯。執行日は12月26日の午前10時で、決定が提示されると同時に拘置所内でも雰囲気が微妙に変化する。死刑囚はそんな変化に敏感で、精神的にも不安定になりやすい。

映画『教誨師』の結末・ラスト(ネタバレ)

人間という生き物は、本能的に生きようとする。誰もが死にたくないと無意識に思い、口から出まかせを吐いては刑期を長引かせようとするのだ。
特に死刑囚は常に死と隣り合わせの毎日を独房で送っているため、微妙な変化には非常に敏感で強い不安に苛まれるようになる。

故に鈴木は停電の一件以来、被害者の亡霊に許されたと一変して陽気になり、対していつも明るい吉田は落ち込んで攻撃的となった。
不安や罪を吐露する死刑囚と対話し、思い悩む佐伯。次の面会者である高宮が来る間、佐伯は亡くなった兄の姿を思い描き、会話することで心を強く持とうとするのだった。

そうして、高宮との面会が開始される。高宮は常に社会に対し不満を吐露してきたが、それはより良い社会を望んでのことだった。故に彼は大量殺人を犯し社会に改善を求めたが、結局それは何の打撃も与えなかった。自分は何のために人殺しをしたのか。虚しくなった高宮。佐伯はそんな高宮のことがとても怖かった。けれど、なぜ彼のことが怖いのかと考えた時、それは相手のことを知らないからだと気付く。人は知らないものや存在に恐怖を抱く。故に恐怖を取り除くためには知ろうとする。佐伯は高宮が怖いからこそ、知りたいと告げた。

そして、知るためには彼の側に、心に寄り添ってそこに開いた穴を見つめることだ。佐伯は高宮が最期を迎えるその時まで、ずっと傍にいて離れないと断言。すると、真摯な佐伯の言葉が届いたのか、高宮の態度や雰囲気が軟化する。彼は佐伯の言葉に1人ではないのだと感じ、安堵したように微笑むのであった。

12月26日、死刑の執行が行われる日。対象者は高宮であった。彼の前に毅然とした態度で立つ佐伯。高宮は死への恐怖に怯え異常な状態だった。だが、彼はおもむろに立ち上がり、佐伯へと抱き着いて耳元に何事か囁く。すぐさま刑務官によって引き離されたが、佐伯はその言葉を噛み締め、高宮を知ることができて嬉しいと告げるのだった。

季節は春を迎え、佐伯は教誨師として死刑囚との面会を継続している。高宮との経験により、以前と比べて身構えることなく自然体で接することができていた。無理をして教え諭すのではなく、ただ傍にいて心に寄り添う。そして、いずれは死を迎える彼らを決して1人にしないこと。それが、教誨師の最も大切な役割だと、佐伯は感じていた。

拘置所から一歩、外へ出ればそこではありきたりな生活が待っている。佐伯は1人の死刑囚からもらったグラビア女性の切り抜きを開き、ふと裏面に目を止める。そこには、「あなたがたのうち、だれがわたしに罪があるとせめうるのか」と書いてあった。
はっとした佐伯は拘置所を振り返り、送迎に来た妻を振り返り。そうして、踵を返して去って行くのであった。

映画『教誨師』の感想・評価・レビュー

全編がほぼ、面会室での映像のみで死刑囚と教誨師の会話劇が展開されている。それぞれに罪を抱える死刑囚は、死を目前にして常に強い不安を抱えている。彼らは本能的に生き延びようとして時に口から出まかせを言ったりする。

1995年に制作されたアメリカ映画『デッドマン・ウォーキング』を彷彿とさせる作品で、故大杉蓮主演の遺作でもある。面会室でのやりとりがほとんどだが、最後のシーンでは拘置所の外へ出て、主人公にその境界を知らしめる。もしかすると、その最後のシーンが一番の肝で、そのシーンを撮るために面会室でのやりとりが展開しているのではないかと考えさせられる作品。(MIHOシネマ編集部)


本作は、受刑者の心の救済に努め、彼らが改心できるように導く「教誨師」と受刑者たちの対話を描いたヒューマンドラマ作品。
大杉漣さんの最後の主演作。
それぞれ熱心に教誨師の話に耳を傾ける者、自分の話ばかりする者など、受刑者の役者人が皆個性的で、人間味溢れる演技に引き込まれた。
様々な事情を抱えた受刑者たちとの対話の中で「救済」とは何か、真摯に向き合おうとする教誨師としての苦悩が伝わってきて切なくなった。
物語に劇的な変化はない対話劇なのだが、心が動かされる作品。(女性 20代)


「死刑囚」と言うと、「死刑」になるほど大きな罪を犯し罪を償うために「死」を宣告された人間だと思っていました。しかし、死刑囚も1人の人間であり、人格があり「死んだから許される」ことでは無いのだと知りました。
死刑を執行される前に心に寄り添ってくれる教誨師の存在を初めて知りましたが、かなり過酷でつらい報われない仕事だと感じました。しかし、彼らのような存在がいるからこそ、なぜ「死刑」になるのか、何を思って死を待たなければいけないのかを「考える」時間が与えられるのだと思います。
何が正しいのか答えは分かりませんが、「教誨師」の存在は絶対に必要だと感じました。(女性 30代)


死刑囚6人が、順々に教誨師と話します。彼らが何をして死刑囚となったのか、会話から想像するのが面白かったです。音楽は一切無く、ほぼ拘置所の面会室のみというシチュエーションなのに、没入していました。死刑囚が自暴自棄に陥らないよう諭したり、ひたすら傾聴したり、教誨師に対して頭が下がる思いがしました。漸く腹を割って話せるようになったら、死刑執行とは虚しいです。大杉漣、最期の主演作であり、彼にとって初プロデュース作品ですから沢山の人に見てほしいです。(女性 30代)

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