映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』の概要:20世紀最高の革命家、チェ・ゲバラの半生を追った伝記映画。南米大陸縦断の旅を通して青年の心情をその過程で描写したロード・ムービー。制作にはハリウッドを代表する俳優でもあり、監督でもあるロバート・レッドフォード。監督には、ブラジル映画界を代表するウォルター・サレス。代表作には彼の出世作にもなった『セントラル・ステーション』がある。若き日のチェ・ゲバラを演じるのはメキシコ出身のイケメン俳優ガエル・ガルシア・ベルナル。
映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』 作品情報
- 製作年:2003年
- 上映時間:127分
- ジャンル:ヒューマンドラマ、ドキュメンタリー、青春
- 監督:ウォルター・サレス
- キャスト:ガエル・ガルシア・ベルナル、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ、ミア・マエストロ、メルセデス・モラーン etc
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映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』 評価
- 点数:90点/100点
- オススメ度:★★★★★
- ストーリー:★★★★★
- キャスト起用:★★★★☆
- 映像技術:★★★★☆
- 演出:★★★★★
- 設定:★★★★☆
[miho21]
映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』 あらすじ(ストーリー解説)
映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』のあらすじを紹介します。
“これは偉業の物語じゃない。同じ大志と夢を持った2つの人生が、しばし併走した物語である”
1952年、アルゼンチンに住むエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は医学生で23歳。喘息を患いながらも、趣味はラグビーやサッカー等、激しく身体を動かすスポーツを好むどこにでもいる普通の青年。大学在学中の年が明けた1月、彼は親友のロドリゴ・デ・ラ・セルナ(アルベルト・グルナード)と共に数ヶ月を掛けて、南米大陸縦断の旅に出掛ける計画を練っていた。目的は、本でしか知らない南米大陸の探検。1台のオンボロのオートバイ“ポデローサ(怪力号)”に跨って、彼らは南米大陸を縦断する予定だ。出発はアルゼンチンのブエノスアイレスから目的地のベネズエラの南米大陸最北端の地カラカスまでの12,425キロと言う長い道のりをバイク1台だけで完走する手順なのだ。故郷アルゼンチンを抜けて、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラの順番に旅をする計画だ。
道中、エルネストはアルゼンチン・ミラマールに住む遠距離恋愛中の恋人チチーナ(ミア・マエストロ)に会いに寄り道をする。広大な湖を背景に、長い1本道を彼らは直走る。たくさんの荷物をバイクに括り付け、目的地をひたすら目指す。途中、バイクのタイヤがパンクしたり、砂利道で転んでケガをしたり、波乱の旅が始まった。川の近くで、テントを張ろうとすれば、風に飛ばされてしまう。無事、彼らは目的地のカラカスに辿り着けるのか?貧乏旅行のため、宿もなければ、食事もなかなか口に出来ない。住む宿と食事をもらうため、民家を訪ね、物乞いのようなことをしてしまう。それでも、彼らはこの旅自体を楽しんでいるようだった。エルネストの持病である喘息が、時に邪魔をする。山道、雪道、砂漠など、時には道なき道をバイクで走る。時には吹雪の中で野宿をする始末。バイクが故障し、押して歩を進める彼ら。旅の疲れとストレスで、時には言い争う2人。でもケンカなんてしていられない。異国の地で頼れるのは、お互いだけなのだ。
チリに入国したエルネストに病人の老婆の出会いがあった。もう余命幾許もない年老いた彼女。エルネストは彼女に楽になれるように薬を渡した。彼が出来ることはこれ以上何もなかった。この経験が、エルネストの心情を少しずつ変えて行く。母親に宛てた手紙にも、自身が無力であったこと、老婆が自身と同じ喘息を患っていたこと、貧困が彼女の人生、命を奪おうとしていることに、エルネストは何も出来ずにいた。ちょうどこの時、オンボロのオートバイ“ポデローサ(怪力号)”にも、寿命が迫っていた。このバイクを愛用していた親友のロドリゴは断腸の思いで手放すことに。足を失った彼らは、徒歩で旅することに。途中、ヒッチハイクでトラックに同乗し、次なる目的地チリ・バルバライソに到着するのだった。ブエノスアイレスから遠く離れて3,573キロ。そこから歩いて、また旅に出る。アタカマ砂漠を歩く彼らの前に、ある一組の夫婦が現れる。彼らは、地上げ屋に土地を奪われ、子どもを預け、職を求めて放浪中だとか。共産主義者のため警察にも追われていると聞かされた。職を求めて旅をする夫婦とは違い、旅をすること自体が旅の目的であるエルネストたちには、大きな差異があった。この夜、エルネストは寒さと寂しさ、虚しさを覚えながらも、目の前の夫婦に親近感が沸いたと、母への手紙に綴っている。チュキカマタ銅山では、職を求めるチリ人で溢れかえっていた。雇用者と雇用される側、職に付けなかった者。夫婦の境遇を聞かされた上で、粗暴な雇用者を見ると、怒りが込み上げるエルネストだが、彼には何も出来なかった。チュキカマタ銅山を出発してから、彼の世界観が一変したと、手紙に綴られている。
ペルーに入国すると、アンデス山脈の奥地に数多くの先住民が生活している。南米大陸の中でも少し変わった地域だ。彼らが山道をひたすら徒歩で進む。ロドリゴが30歳を迎えても、祝う気力がないほど彼らは旅の疲れを感じていた。ペルーのクスコに到着。ここは世界遺産にも登録されたインカ帝国の発祥の地。大陸の中心部だ。子どものガイドを任せ、クスコの街を観光する2人。先の夫婦と同様に、ここでも職のないペルー人が数多く存在する。彼らの話に耳を傾けるエルネスト。彼の心情はもう、旅を完遂することではなくなっていた。ペルーに住む村人の話にも一人一人苦しみがあることを知ったエルネストたちは、また歩を進めた。天空に聳える世界遺産、マチュピチュの雄大さに圧巻される2人であった。次に訪れた街リマ、出発地から8,198キロ。そこにはもう一つの目的がった。それは、ハンセン病を専門とする名医に会いに行く予定であった。エルネストは大学でハンセン病を専攻する医学生だったのだ。医師の家では、月並みの扱いを受けて、衣食住を与えられ、また次なる目的地サン・パブロに赴くのであった。船に乗って2週間。1,240キロの船での長旅。そこでもエルネストは、激しい喘息発作に襲われるのであったが、親友ロドリゴに助けられる。船旅も簡単ではない。ロドリゴは、エルネストを助けた女ルスが、娼婦であることを知って、彼女を買おうとしたが、文無しだったため、相手にされなかった。そこでエルネストに彼の恋人チチーナから貰ったお金で彼女を釣ろうとしたが、エルネストは持っていたお金を砂漠で出会った苦しむ夫婦に善意で渡したと言った。もうこの頃には、彼はある決意を心に秘めようとしていた。2週間後、彼らは無事、目的地のサン・パブロに到着する。そこは、ハンセン病患者の研究棟と川を挟んだ向こう岸には隔離施設があった。彼らはそこで、多くのハンセン病患者と出会い、交流をしながら、関係性を深めていった。根無し草のロドリゴは、カラカスの病院で働けるように推薦されたと告白。彼らは、別々の道を歩もうとしていた。エルネストは、ここで24歳の誕生日を迎えた。旅立つ前に施設の職員たちが、彼を祝ってくれる。スピーチをせがまれたエルネストは、この旅を通して感じたことを赤裸々に語り始めた。「僕らのような者が皆さんの代弁者にはなれませんが、今回の旅でより強く確信しました。無意味な国籍により国が分かれていますが、南米大陸は1つの混血民族で形成されているのです。ゆえに、偏狭な地方主義を捨てて、ベルーと統一された南米大陸に乾杯しましょう。」と。彼は医者の道を選びながらも、南米大陸を一層よりよい社会にしたいと、心に決意するのだった。
彼らは最終目的地カラカスに向けて、サン・パブロを後にした。様々な土地を訪れ、多くの人々と会い、南米大陸の実情を知ったエルネストたちは、旅をする前と後では、彼らの心の内情は大きく変化していた。カラカスに到着した彼ら。ロドリゴは推薦された病院で働くためにその地に残り、エルネストは残っている大学の修士課程を修めるために、地元ブエノスアイレスに戻るのだった。彼らが併走してきた人生は、一旦ここで終わってしまうが、彼らが得た友情は永遠だ。
最後にエルネストがこの旅の経験について語る。
「これは偉業の物語じゃない。同じ大志と夢を持った2つの人生が、しばし併走した物語である。僕らの視野は狭く、偏りすぎていただろうか?僕らの結論は頑なすぎたのか?かもしれない。南米放浪の旅は、想像以上に僕を変えた。少なくとも、もう昔の僕ではなくなっていた。」
この旅が、エルネストを変えた。革命家への道を一歩ずつ歩む彼は、チェ・ゲバラとしての使命を胸に短い生涯を全うするのであった。
映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)
映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む
監督ウォルター・サレスとブラジル映画
本作『モーターサイクル・ダイアリーズ』を監督したヴァルテル・サレスことウォルター・サレス監督は、ブラジルを代表する名匠だ。ブラジル映画の起源は浅く、日本での流通は正直、まだまだ少ないと言ってもいいだろう。映画創世記のリュミエール兄弟の作品も興行され、サイレント期、トーキー時代共に映画そのものは制作されているようだが、本当に微々たるものだろう。日本への輸入もないに等しい状態だった。やはり、ブラジル映画が日本に輸入され始めたのは、50年代初期のフランスのヌーヴェルヴァーグやイタリアのネオ・リアリスモの世界的な映画ムーブメントに後押しされた形で、ブラジルでも“シネマ・ノーヴォ”なる映画運動が、ブラジル映画界の若手監督たちの間で立ち上がった。それまでは、ブラジルの映画制作会社ヴェラクルス撮影所が、率先して映画制作に携わってきたようだが、人気が低迷し、1954年に倒産。それに代わるような形でムーブメントが熱を帯びた。この時代数多くの若手監督を輩出し、それに伴い数多くの映画が制作、公開された。その中でも、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督制作による『リオ40度』と言う作品が発表された。本作は、世界でも屈指のスラム街。危険区域を舞台に、茹だる様な暑いリオ・デジャネイロに住む5人の少年たちの1日をリアリズムに描いた作品だ。この作品は、フランス・パリでも上映され、フランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダール等、名だたるフランス人映画監督を熱狂させた作品だ。ヌーヴェルヴァーグに新しい風を巻き起こし、ますますその活動が加速することにもなった。彼の作品はこれ以外にも1971年に公開された『私が食べたフランス人』が世界的にも最も有名だろう。1963年公開の『乾いた人生』も彼の作品群では忘れてはならない名作だ。近年では2006年に公開された『ブラジリア18%』がある。政治汚職、裁判の証人殺し、マネー・ロンダリング等と言った当時ブラジルで社会問題にもなっていたダークなテーマを取り上げて、制作されている。近年までコンスタントに活動しているようだ。“シネマ・ノーヴォ”でネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督他に忘れてはいけない人物がいる。彼の名はグラウベル・ローシャ監督。本名はグラウベル・ペドロ・ヂ・アンドラーヂ・ホーシャ。彼の名言の中では彼自身が「私こそがシネマ・ノーヴォだ」と言わしめる程、シネマ・ノーヴォの映画制作運動では欠かせない重要人物で、シネマ・ノーヴォの新旗手だ。残念ながら、肺の病気で1981年、43歳という若さで急逝してしまった。亡くなるまでに制作された作品は数多く、中でも初期4作品『バラベント』『黒い神と白い悪魔』『狂乱の大地』『アントニオ・ダス・モルテス』が有名だろう。その後はブラジルで軍事独裁政治が発足され、映画制作が困難になり、1971年自ら亡命し、各国で制作活動を続けた。コンゴでは『O Leão de Sete Cabaças(70年)』が、スペインでは『切られた首(70年)』が、キューバでは『Hisotória do Brasil(73年)』が、パナマでは『Claro(75年)』が多岐に渡り制作された。1980年公開され、彼の遺作となってしまった『大地の時代』が各国で高く評価され、その年のヴェネツィア国際映画祭に出品されるまでに至った。
60年代に全世界で起きたムーブメントのお陰で、ブラジルでの大量生産が実現したが、70年代以降は軍事独裁政治が横行し、シネマ・ノーヴォで活躍した多くの監督たちが、言論の自由、表現の自由を奪われ、亡命するまでに至っている。その流れはヨーロッパで起きたチェコ・ヌーヴェルヴァーグに似た流れがあると言われている。シネマ・ノーヴォの衰退はあったもの70年代以降も多くの映画が制作された。特に、特筆すべきは76年からサンパウロ国際映画祭が開催されていることだろう。最優秀賞受賞作品の中にはスティーブン・ダルドリー監督の『リトル・ダンサー』やニキ・カーロ監督の『クジラの島の少女』、ジョシュア・マーストン監督の『そして、ひと粒の光』など、今尚名作と言われている作品が受賞している。南米最大級の映画祭なのだ。話が少し逸れてしまったが、ムーブメントが去った以降も、活発に映画制作が行われていた。この年代を代表する作品は『イラセーマ』『ドナ・フロールと2人の夫』『ガブリエラ』『牢獄の思い出』そして『蜘蛛女のキス』が存在しているが、日本への配給はほとんどされていない。唯一挙げるとするならば、やはり『蜘蛛女のキス』が中でも世界的にも知名度があり、公開された年のアカデミー賞では主演のウィリアム・ハートが主演男優賞を受賞している他、各国の映画祭でも絶賛された名作だろう。
90年代に入ると、ブラジル映画史は最も危機的状況に陥ってしまう。ブラジルの映画産業に翳りが見え始め、90年3月に当時の大統領フェルナンド・コーロルによってブラジル配給会社公社が廃止され、すべての公的支援を廃止し、映画の制作本数は事実上、ゼロ本と言う暗黒時代に突入していった。この状況を打破したのは、93年以降のこと。無事、ブラジル国内の映画産業は回復し始め、ブルノ・ハベット監督の『クアトロ・ディアス(97)』、ヴァルテル・サレス監督、フェルナンダ・モンテネグロ主演の『セントラル・ステーション(98)』、カルロス・ヂエキス監督の『オルフェ(99)』等、ブラジル映画史の中でも最も質の高い作品が、日本など各国で配給、上映されるようになった。90年の危機的状況から比べれば、95年には2000本以上の映画が制作されるようになった。
ブラジルで映画制作が盛んになった90年代にデビューをした本作『モーターサイクル・ダイアリーズ』の監督ウォルター・サレスは、ブラジル映画界の新旗手だ。先に述べた『セントラル・ステーション』では1998年第48回ベルリン国際映画祭の金熊賞(最優秀作品賞)、銀熊賞(主演女優賞)、及びエキュメニカル審査員特別賞を受賞した。アメリカでは第58回ゴールデングローブ賞で最優秀外国語映画賞を受賞するなど、各国で様々な賞を受賞した。この作品の成功で、彼は立て続けに作品を制作し始める。2001年には『ビハインド・ザ・サン』2004年には本作『モーターサイクル・ダイアリーズ』2005年の『ダーク・ウォーター』にてハリウッドデビュー。2006年にはオムニバス映画『パリ、ジュテーム』2012年には映像化不可能と言われ続けてきたビートニク小説の最高峰『オン・ザ・ロード』を完全映画化。他にも、近年では若手監督の作品をプロデュースし、フェルナンド・メイレレス監督作品『シティ・オブ・ゴッド』をでも製作を担当した。監督デビューしてから20年近く経つが、彼が監督した作品は数が少ないが、それぞれの作品は高品質の映画として認知度が高い。数作品のうち、ロード・ムービーは3本。まさに、ロード・ムービーは彼の得意ジャンルと言えるだろう。その中でも、本作『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、ロード・ムービーの真骨頂。紛れもない名作だ。
イケメン俳優ガエル・ガルシア・ベルナル
メキシコ出身の甘いマスクが持ち主のイケメン俳優ガエル・ガルシア・ベルナルは、そのルックスだけではなく、演技力も高く評価されている。彼の芸歴は長く、メキシコで子役として活躍。彼の父親は俳優、母親はモデルと言う芸能一家に生まれた彼にとって、役者の道に進むのは必然だったのかも知れない。彼の映画デビューは、第87回アカデミー賞で話題にも挙がったアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督のデビュー作『アモーレス・ぺロス』だ。ある事件と1匹の犬を巡って繰り広げられる3組の男女の人間模様を描いたアクション映画。この作品での彼の演技力が認められ、一躍注目を浴びることに。次の作品では同国出身の監督アルフォンソ・キュアロンが制作した『天国の口、終わりの楽園』ではヴェネツィア国際映画祭にてマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞した。この作品の成功は大きく、ガエル・ガルシア・ベルナルは世界を代表する巨匠、名匠からの出演オファーを受ける。2004年にはスペイン出身のペドロ・アルモドバル監督の『バッド・エデュケーション』2006年にはアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと再び手を組み『バベル』同年フランス人監督ミシェル・ゴンドリーの『恋愛睡眠のすすめ』2009年にはジム・ジャームッシュ監督の『リミッツオブ・コントロール』とコンスタントに活躍している。2007年には同国出身の俳優ティエゴ・ルナと制作会社を設立。自身が監督を務めた『太陽のかけら』を発表。彼の監督デビュー作だ。多彩な才能で活躍の場を広げるガエル・ガルシア・ベルナル。デニュー後10数年が経ち、30代後半。若手俳優と言うよりも様々な経験を積み、その経験を演技力に反映出来るようになった中堅の俳優だろう。でも、あのマスクはデビュー期の頃とまったく変わらないイケメンだ。近年では『NO』と言う社会派ポルティカル映画に主演を果たしている。物語は、1988年のチリを舞台とし、ピノチェト独裁政権の是非を問う国民投票における反対派のキャンペーン活動の姿が描かれている。本作でも、私たちは彼の新しい側面を見ることが出来る。30代後半、40代となりますます脂の乗った彼の姿をつぶさに見ておきたいものだ。これからの彼の活躍にも目が放せない。
映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』 まとめ
本作『モーターサイクル・ダイアリーズ』は今まで観てきた映画の中でも10本の指に入るほど、私の好きな映画の一つだ。名もなき一人の青年が、現実を目の当たりにし、まるで何かに動かされるように革命家の道を歩み始める勇姿が、繊細に、そして丁寧に描かれている。この作品がチェ・ゲバラの革命家活動は、一つも描写されていない点も希有でしょうが、革命家になるまでのその姿、経験が克明に描かれていることに感動を覚えます。こうして、名もなき一人の青年が革命家になったその裏側には、バイクを通して描かれる旅の重みでしょう。また、この作品を鑑賞したなら、革命家として様々な活動をしてきたチェ・ゲバラの人生を描写したスティーブン・ソダーバーグ監督、べネチオ・デル・トロ主演の『チェ28歳の革命』『チェ39歳 別れの手紙』を鑑賞して欲しい。バイクの旅以降の革命家としてのゲバラの活動に触れることが出来る。
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