映画『マダム・イン・ニューヨーク』の概要:2014年インド映画ブームの代表格。日本では近年のインド映画『きっと、うまくいく』に次ぐ大ヒット。監督はインドの新人女性監督ガウリ・シンディー。主演は、十数年ぶりの銀幕復帰作となるインドの人気女優シュリデヴィ。良妻賢母だが平凡な主婦が、新しい自分を見つけるまでを描いたサクセス・ストーリー。
映画『マダム・イン・ニューヨーク』 作品情報
- 製作年:2012年
- 上映時間:134分
- ジャンル:コメディ、ラブストーリー、ヒューマンドラマ
- 監督:ガウリ・シンデー
- キャスト:シュリデヴィ、アディル・フセイン、メーディ・ネブー、プリヤ・アーナンド etc
映画『マダム・イン・ニューヨーク』 評価
- 点数:70点/100点
- オススメ度:★★★★☆
- ストーリー:★★★☆☆
- キャスト起用:★★★☆☆
- 映像技術:★★★☆☆
- 演出:★★★☆☆
- 設定:★★★★☆
[miho21]
映画『マダム・イン・ニューヨーク』 あらすじ(ストーリー解説)
映画『マダム・イン・ニューヨーク』のあらすじを紹介します。
インドに暮らすシャシ(シュリデヴィ)は、多忙なビジネスマンの夫サティシュ(アディル・フセイン)と2人の子どもに囲まれて幸せな日々を送るごく平凡な主婦。彼女自慢のインドのお菓子“ラドゥ”を作って、売るのが彼女にとってのほんの喜び。だが、そんな彼女にも悩みがあった。それはインドの公用語にもなっている“英語”が話せないこと。シャシ以外の家族は皆、英語が話せる。英語のアクセントや発音で、いつも子どもにバカにされてしまう。それが原因で、彼女は中学生の長女といつも、ケンカばかり。
そんな矢先、ニューヨークに住む姉家族から結婚式の手伝いをして欲しいと、打診が入る。英語が話せないシャシは、姉の願いに動揺し、悩むばかり。だが、彼女は決意して現地に赴くが、そこは彼女にとって異国の地だった。
ニューヨークに到着した当初は、現地に住む姉のマヌ(スジャーター・クマール)の姪に手伝ってもらいながらニューヨーク観光を楽しんでいたが、シャシはある日一人でカフェに入るが、ろくに英語も話せず、コーヒー一杯も注文できず、挙句の果てに、店内をパニックに陥らせてしまう。あまりにも英語が出来ず落ち込むシャシの前に、心優しいフランス人男性ロラン(メーディ・ネブー)が彼女を励ましてくれる。落ち込むかの彼女の目に飛び
込んできたのは、4週間で英語が話せる英会話学校の広告だった。
家族にも姉家族にも内緒で、シャシはインドで稼いだヘソクリの大金を抱えて、英会話学校の戸をあけた。教室には、シャシと同様、語学レベルが著しく低い多国籍の人種が集まっていた。メキシコ人、バングラデシュ人、モンゴル人。そこには、先日コーヒーショップで出会ったフランス人男性も授業を受けていた。教室に集まる生徒は皆、シャシと同じ何か目標を持って、教室に参加していた。最初こそ、自信のなかった彼女だが、そこに集まる生徒たちに触れ、授業を受ける度に、ひとりの女性としての自信と輝き、きらめきを取り戻していた。
家族が遅れてニューヨークに訪れた。シャシは、それでも家族に内緒で英会話の授業に参加していた。また授業に出席していた間に、幼い息子が怪我をした。母親としての自覚や責任を感じて、教室の卒業間近に、授業を受けるのを断念してしまう。
映画『マダム・イン・ニューヨーク』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)
映画『マダム・イン・ニューヨーク』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む
近年、希に見るインド映画ブーム
2010で年あたりから北欧映画のブームが、日本に到来した。きっかけは、北欧ミステリーの火付け役『ミレニアム』シリーズだろう。全世界で原作、映画がヒットし、アメリカ・ハリウッドでもデヴィッド・フィンチャー監督がリメイクしたアメリカ版も全世界で爆発的ヒットを記録した。残念ながら、続編の公開の目処が立ってない。この作品のヒットがきっかけとなり、2013年あたりまで空前のブームが起きた。
それと変わって2014年以降は、日本にインド映画ブームが旋風した(現在も続いているが)。95年公開の『ムトゥ 踊るマハラジャ』以来のことだ。従来のインド映画は歌あり、踊りあり、ミュージカル色の強い作品が、多く目立っていた。だが、近年のインド映画は『スタンリーのお弁当箱』や『めぐり逢わせのお弁当』『女神は二度微笑む』など、歌も踊りもない従来のインド映画から掛け離れた作品が多く制作されている。
余談だが、インド映画界の巨匠サタジット・レイ監督制作による、1950年代公開の『大地のうた』に続く『大樹にうた』『大河のうた』の3部作は、インド映画の芸術性を国際的なものとした。これらの作品もまた、歌も踊りもない地味な作品だ。ミュージカル形式で、上映時間が長く、豪華絢爛なダンスシーンが多く見られるようになったのは、その後80年代以降のことだ。
近年インド映画の傾向は、原点に帰った作品が多数ある。本作『マダム・イン・ニューヨーク』もまた、歌も踊りもない従来のインド映画を覆すインド映画が国内外でヒットを飛ばしているのも事実だろう。また先述した作品群の監督は、皆新人の監督たちが多く活躍している。『マダム・イン・ニューヨーク』のガウリ・シンディー監督を初め、『スタンリーのお弁当箱』のアモール・グプテ監督も、『めぐり逢わせのお弁当』のリテーシュ・バトラ監督も、『女神は二度微笑む』のスジョイ・ゴーシュ監督もまた、皆新人監督たちなのです。彼らの活躍の場を広げることによって、世界に、日本に、インドが配給されることは間違いないだろう。これから、公開されるであろうインド映画が楽しみだ。
個人的考察ではあるが、インド映画ブームの火付け役は2013年に公開された『きっと、うまくいく』が妥当の線だろうが、私は2009年に公開され、翌年のアカデミー賞でも話題になったイギリス制作、インドが舞台の『スラムドッグ・ミリオネア』のヒットは、インド映画ブームを作った作品だと言っても言いほどの功績を残していると、私は思います。あの作品のヒットが、インドに全世界の目が向けられたからこそ、近年の爆発的なブームに繋がったのであろう。本作『マダム・イン・ニューヨーク』と併せて『スラムドッグ・ミリオネア』『きっと、うまくいく』を鑑賞するのをオススメする。
怖くても新しい事に挑戦することの大切さと素晴らしさ、その勇気を与えてくれる作品。
主人公のシャシを演じたシュリデヴィは今作で15年ぶりの女優復帰だそうだが、その透明感のある美しさと演技は自然と惹き込まれた。
この映画にはたくさんの名言が散りばめられているが、最初の飛行機で隣に座った紳士がかけてくれた、「何事も初めては一度だけ その一度は特別な体験だ だから楽しんで」という言葉がとても心に残っている。(女性 30代)
映画『マダム・イン・ニューヨーク』 まとめ
本作『マダム・イン・ニューヨーク』はストーリーの構成や映画の編集は、まだまだ稚拙な作品だ。一つ一つの細かいエピソードを繋げる結び目が、説得力に欠けるからだ。観る側に、主人公の行動が正しい納得させるために、物語の無理な展開が作中所々に見受けられる。ただ、本作が長編デビュー作と考慮すれば、映画全体の出来はよく出来ているほうだと思える。
家族から疎外感を感じ、妻として母として自身の存在価値が見出せない主人公が、ある出来事をきっかけとして、ひとりの人間としての輝きや自信を取り戻すまでを描いたヒューマン・サクセス・ストーリーだろう。語学力の乏しい日本人にとっても、彼女の葛藤や勇気が、私たち日本人の共感を得たのだろう。その“共感”こそが、本作のヒットに繋がったのは、明白だ。
みんなの感想・レビュー
コメントありがとうございます。
いつも当サイトにお越しいただき、大変嬉しく思います!
確かに「起源」というのは誤解を招く可能性がありますね。
先ほど修正させていただきました。
ご指摘ありがとうございました!
いつも楽しく拝読させていただいております。
ところで、今回の記事中、気になった個所があります。
>インド映画の起源は50年代に公開されたサタジット・レイ監督制作による
>『大地のうた』に続く『大樹にうた』『大河のうた』の3部作がインド映画
>の起源されている。
とありますが、インド映画の“起源”は1896 年。フランスのリュミエール社がムンバイでシネマトグラフを上映したところから始まっています。インド初の国産映画はファールケーの制作した『ハリ シュチャンドラ王』で彼は「インド映画の父」と呼ばれています。インドでは1930年までに毎年200を超える映画が製作されており、サタジット・レイ監督作品をインド映画の“起源”とするのは誤解釈ではないでしょうか。
1950年から制作されたサタジット・レイ監督の三部作は世界中で高い評価を得て、インドの芸術映画を世に知らしめました。その意味でサタジット・レイ監督はインドの偉大な監督ではありますが、“起源”という表現は誤解を招くのでは?
映画史を学ぶ者として、余計なお節介と思いつつ感想を書かせていただきました。